星の王子さま
作 サン=テグジュペリ 訳 谷川かおる
レオン・ヴェルトに捧げる
子どもの皆さんにはすまないと思うけれど、ぼくは、この本をひとりのおとなに捧げる。ぼくには、そうするだけのちゃんとした理由があるんだ。まず、このおとなのひとは、ぼくの世界で一番の親友だから。それから、二つ目の理由。このおとなのひとは、なんだって理解できるから。たとえ子どもの本であってもね。三つ目の理由、それは、このおとなのひとがフランスに住んでいて、飢えと寒さに苦しんでいるっていうことだ。彼には慰めがどうしても必要なんだ。もしこの三つの理由ぜんぶでもじゅうぶんじゃないなら、ぼくは、かつて子どもだったころのこのひとに、この本を捧げようと思う。おとなはみんな、はじめ、子どもだったんだ。(それを忘れずにいるおとなは、いくらもいないけれど)。だから、献辞の言葉は、こう書き直そう。かつて、子どもであったころのレオン・ヴェルトに捧げる
一
六歳のころ、ぼくは、原始林のことが書いてある『本当にあった話』という本のなかで、すばらしい絵に出会った。それは、ボアという大蛇が、獣を一匹のみこもうとしている絵だった。これが、その絵を写したものだ。
本には、こう書いてあった。「ポアは、獲物を噛まずに丸ごとのみこんでしまいます。そのため、のみこんだあとは身動きできず、六か月間眠ってその獲物を消化するのです」
ぼくは、ジャングルで起こる冒険をいろいろ考え、そして今度は、色鉛筆を使って、生まれてはじめての絵をりっぱに描きあげた。ぼくの絵第一号。それは、 こんなふうだった。
ぼくはこの傑作を、おとなのひとたちに見せ、ねえ、怖いでしょ、とたずねた。
でも、みんなこう答えた。「なんで帽子が怖いのかい?」
ぼくの絵は、帽子を描いたものなんかじゃない。ゾウを消化しているさいちゅうの大蛇を描いたものなんだ。そこでぼくは、おとなのひとたちにもわかるように、大蛇のからだのなかも描いてみた。おとなには、いつも説明が必要なんだ。ぼくの絵第二号。こんな絵だ。
するとおとなたちは、からだのなかが見える大蛇だろうが見えない大蛇だろうが、とにかく大蛇の絵なんか描くのはやめなさい、そんなものより地理や歴史や算数や文法を勉強しなさい、とぼくに言った。そんなわけで、六歳にして、ぼくは絵描きというすてきな職業をあきらめることになった。ぼくは、ぼくの絵第一号と第二号が認められなくて、すごくがっかりしたんだ。おとなは、いつだってひとりじゃなにも理解できない。子どもにしてみれば、いつもいつもおとなになにか説明しなくちゃならないのって、うんざりなんだ…。
そこでぼくは、絵描き以外の職業を選ばなくてはならなかった。それで飛行機の操縦を覚えた。ぼくは、ほとんど世界じゅうを飛行機で飛んだ。そう、地理。たしかに、これはすごく役にたってくれた。ぼくは、一目見ただけで、中国でもアリゾナでも見分けることができた。夜中に方向を見うしなったときなんか、とても役立つんだ。
こんなふうにして、ぼくは、山ほどのまじめな人たちと、たくさんつきあってきた。おとなたちのあいだでずっと生きてきた。そして、おとなたちを間近で見てきた。でも、それで、おとなに対するぼくの考えが、たいして良くなったとは言えない。
賢そうに見える人に出会ったときはいつも、ずっと取ってあるぼくの絵第一号を、その人に見せてみた。その人が本当にもののわかる人かどうか知りたかったからだ。でも、答えはいつもこうだった。「帽子ですね」。それを聞くと、ぼくは、大蛇のボアのことも、原始の森のことも、星のことも話さなかった。その人が理解できるようなことだけを話した。トランプのブリッジとか、ゴルフとか、政治やネクタイのことだ。そうすると、その人は、自分と同じように分別のある人間と知り合いになれたと思って、とてもまんぞくしたんだ。
二
こんなふうにして、本当のことを話す相手もなく、ぼくはひとりで生きてきた。今から六年前、サハラ砂漠で飛行機が故障するまでは。エンジンのどこかがいかれてしまったんだ。飛行機にはエンジニアも乗客もいなかったから、ぼくはたったひとりで難しい修理をやってのけなければならなかった。ぼくにとっては生きるか死ぬかの問題だった。飲み水は、かろうじて一週間分しか持っていなかった。最初の晩、ぼくは、人間が住む土地から千マイルもはなれた砂の上で眠りについた。船が難破して、海のまんなかを救命ボートでただよう人よりも、もっと孤独だった。だから君たちだって、明け方、奇妙なかわいい声で目が覚めたとき、ぼくがどんなに驚いたかわかると思う。その声はこう言ったんだ。
「ねえ、ぼくに羊を一匹描いてよ!」
えぇ!?
「羊を一匹描いてよ....」ぼくは、雷にうたれたみたいに跳ね起きた。目をこすり、あたりを見まわした。するとそこには、世にもふうがわりな男の子がいて、真剣な顔でほくをじいっと見つめていたんだ。これが、あとになってから描いたその子の肖像画で、一番うまく描けている。もちろんぼくの絵は、本人がすてきなのと比べたら、足もとにもおよばない。でも、しようがないじゃないか。絵描きになる夢は、おとなたちのせいで六歳のとき諦めてしまったし、それ以来、大蛇の外側と内側を描いた絵のほか、絵の稽古なんかしていなかったんだから。
ぼくは、ふってわいたように出てきたこの男の子を、驚きのあまり目をまんまるにして見つめた。ぼくがそのとき、人間の土地から千マイルもはなれたところにいたっていうことを思いだしてほしい。男の子は、迷子のようには見えなかった。飢えや渇きや疲れのあまり死んでしまいそうにも見えなかった。死ぬほどおびえているようにも見えなかった。どんな村や町からも遠くはなれた場所ではぐれてしまった子どものようにはぜんぜん見えなかったんだ。ようやくのことで声をだせるようになると、ぼくはこうたずねた。
「えっと....でも、君、ここでなにしてるの?」
すると男の子は、ものすごくだいじな問題を話すときのように、ゆっくりとくり返した。
「お願いだから、ぼくに羊を一匹描いてくれない....」
ひとは、度を超えて不思議なものと出くわすと、思わずそれを受けいれてしまうものだ。人里遠くはなれた場所で死ぬかもしれないというとき、そんなことをするのはまったくばかげているとは思ったけれど、ぼくはポケットから紙と万年筆をひっぱりだした。でも、それから、自分が地理や歴史や算数や文法ばかり勉強していたことを思いだして、絵は描けないんだよと(ちょっと不機嫌な調子で)、男の子に言った。その子はこう答えた。
「だいじょうぶだよ。羊を一匹描いてよ....」
羊なんていちども描いたことがなかったから、ぼくは自分が描けるたった二種類の絵のうちのひとつを描いてみた。大蛇ボアの外側の絵だ。そしてぼくは、その子がこう答えるのを聞いてびっくり仰天することになった。
「ちがう、ちがうよ! ボアにのみこまれたゾウなんていらないよ。ボアって、すっごく危険だし、ゾウは、すごく場所をとるでしょ。ぼくんとこ、とっても小さいんだよ。ぼくは羊が一匹ほしいんだ。羊を描いてよ」
そこでぼくは、羊を描いてみた。
男の子は、それをじっくり見た後、こう言った。
「だめだよ ! これ、病気でよろよろになってるじゃない。別のを描いてよ」
描いてみた。
ぼくの小さな友だちは、それを見てやさしくほほえんだ。大目に見てあげる、という感じだ。
「ねえ....。これって、羊じゃなくって乱暴な牡羊でしょ。角があるもの」
そこで、ぼくはまた描き直した。
しかし、その絵も前と同じように断られてしまった。
「これは年よりすぎるよ。ぼくは長生きする羊がいるんだ」
すぐにエンジンの分解をはじめなくてはならなかったぼくは、つき合いきれない気持ちになり、こんな絵をぞんざいに描き、宣言した。
「ほら、箱だ。君がほしい羊は、このなかにはいってるんだ。
驚いたことに、この小さな羊の審判員は、ぱっと顔を輝かせた。「こういうのが欲しかったんだよ! ねえ、この羊、草をたくさん食べるかな」
「なんで?」
「だって、ぼくんとこ、すごく狭いから」
「だいじょうぶだよ。そりゃあちっちゃな羊を描いてあげたからね」
男の子は、頭をかしげて絵をのぞきこんだ。
「そんなにも小さくないよ....。ね、見て! 眠っちゃったよ....」
こんなふうにして、ぼくは王子さまと知りあったのだった。
三
彼がどこから来たのか理解するには、ずいぶん時間がかかった。王子さまはぼくにたくさん質問をしたけれど、ぼくの質問はぜんぜん耳にはいらないようだった。たまたま彼が口にした言葉を少しずつつなぎあわせて、ようやくすべてがわかったんだ。たとえば、ぼくの飛行機を一はじめて見たとき(ぼくには複雑すぎるから、飛行機の絵は描かないことにする)、彼はこうたずねた。「このヘンなの、なあに?」
「ヘンなのじゃないよ。これは飛ぶもので、飛行機っていうんだ。ぼくの飛行機だ」
ぼくは、自分が飛行機で飛んできたと王子さまに教えるのが誇らしかった。すると彼はこう答えた。
「え!じゃあ、空から墜ちてきたの!」
そうだよ、とぼくは慎ましく答えた。
「へえ!それって、おかしいなあ!」
そして王子さまは、きらきらと弾けるような声で笑いだした。ぼくには、それがひどくしゃくにさわった。自分の災難を深刻にとってほしかったんだ。それから王子さまはこう言った。
「じゃあ、あなたも空から来たんだ!どの星から来たの?」
ぼくは、彼がここにいる謎を解く手がかりをつかんだように思い、いきなりこう問いただしてみた。
「君は、それじゃあ、ほかの星から来たんだね?」
でも、彼は、それには返事をしなかった。ただゆっくりと首をふりながら、ぼくの飛行機をじっとながめていた。
「そうだよね、これだとそんな遠くから来られないもの....」
それから王子さまは、長いあいだ物思いにふけり、そのあとポケットからぼくの描いた羊を取りだすと、その宝物にじっと見いった。
「ほかの星」から来たとほのめかすような言葉を聞いて、ぼくがどれほど妙な気持ちになったかわかるたろう。だからぼくは、どうにかしてもっとはっきりしたことを知ろうとした。
「ねえ、君、君はどこから来たの?"ぼくんとこ"って、どこにあるの?あの羊をどこに連れていくつもりなの?」
王子さまは、物思わしげな沈黙のあと、ぼくにこう言った。
「よかったのはね、箱をくれたから、夜、羊の家があるってことだよ」
「そうだね。いい子にしていてくれたら、昼のあいだ羊をつないでおく綱もあげるよ。それから杭も」
この提案は、王子さまをびっくりさせたようだった。
「羊をつなぐの? すっごく変わった考えだなあ!」
「だって、つないでおかなければ、勝手にどこかへ行って、迷子になっちゃうよ」
ぼくの小さな友だちは、また笑いだした。
「でも、羊がどこに行くっていうの?」
「どこでもさ。まっすぐ好きなほうに行っちゃうんだ」
すると王子さまは、まじめな顔になって、ぼくにこう言って聞かせた。
「だいじょうぶだよ。ぼくんとこ、ほんとうに小さいんだから!」
それから、ちょっと寂しくなったようすで、こうつけくわえた。
「まっすぐ好きなほうに行っても、遠くまでは行けないんだ....」
四
こうしてぼくは、二つ目のとてもだいじなことを学んだ。王子さまがやってきた星は家一軒くらいの大きさしかない、ということだ!そう知っても、ぼくはそれほど驚かなかった。地球や木星、火星や金星といった、ちゃんと名前がついている巨大な惑星のほかに、望遠鏡でもなかなか観察できないほど小さな惑星が何百もあることを、よく知っていたからだ。天文学者はそんな星を見つけると、その星に名前じゃなくて番号をつける。たとえば、「小惑星325」というように。
ぼくは、ちゃんとした理由があって、王子さまの星は小惑星B612にちがいないと思っている。一九〇九年に、トルコの天文学者によってたった一度だけ観測された小惑星だ。
この天文学者は、国際天文学学会で自分の発見を大々的に発表した。でも、そのとき彼が着ていたトルコの服のせいで、誰も彼のいうことを信じようとしなかった。おとなって、そんなもんだ。幸いなことに、小惑星B612は名誉を挽回できた。トルコの皇帝が、国民に、ヨーロッパ人と同じような服を着るべし、着ない者は死刑だ、というお触れを出したためだ。一九二〇年、その天文学者は、ふたたび発表を行った。今度はとってもエレガントなヨーロッパの服で。そしてこのたびは、誰もが彼の言うことを信じたのだった。
小惑星B612についてくわしい話をしたり、番号まで教えたりしたのは、おとなたちのせいだ。なにしろおとなは、数字が大好きだから。たとえば、君たちが自分の新しい友だちのことを話しても、おとなたちは決して肝心なことを尋ねたりしないだろう。つまり、こんなふうに質問したりしないんだ。「その子の声って、どんな感じ?」「その子が好きな遊びはなに?」「蝶々を集めてる?」その代わり、おとなたちはこう訊くだろう。「その子は何歳なの? 兄弟は何人? 体重は何キロ? お父さんはどのくらいお金持ち?」おとなは、こういうことを知りさえすれば、その子のことがわかった気になる。それに、もし君がおとなに向かってこう言ったとしよう。「すごくきれいな家を見たよ。バラ色のレンガの家で、窓にはゼラニウムが咲いているし、屋根には鳩がいるんだ…」これじゃあ、おとなはうまくその家を想像できない。おとなには、こう言わなくちゃならないんだ。「十万フランの家を見たよ」これなら、おとなは叫ぶだろう。「なんてすごい家なんだ!」
だから、もし君がおとなに向かって、「星の王子さまは本当にいるんだよ。だって王子さまはうっとりするほどステキだったし、よく笑ったし、それから羊をほしがったんだから。羊をほしがるのは、そのひとがいるっていう証拠なんだ」と言ったなら、おとなたちは肩をすくめて、君を子どもとして扱うだろう! でも、もし君が、「彼がやってきた星は、小惑星B612です」と言えば、おとなたちは納得し、つまらない質問で君を悩ませたりしないだろう。おとなって、そんなものだ。おとなに腹を立てちゃいけない。子どもは、おとなに対してうんと寛容でなくちゃいけないんだ。
でも、もちろん、人生というものを知っているぼくらは、数字なんかどうだっていい! だからぼくは、いっそのこと、この話をおとぎ噺みたいに始められればよかったと思う。こんなふうに。
「むかしむかし、あるところに小さな王子さまがおりました。王子さまは、自分よりほんのちょっと大きいだけの星に暮らしていて、友だちがほしいと思っていました....」人生を知っている人間にとっては、このほうがずっと真実味があったかもしれない。
だってぼくは、自分の本が軽々しく読まれてしまうのが嫌なんだ。この思い出を語るために、ぼくはずいぶんとつらい思いをしている。ぼくの友だちが羊といっしょに去っていってしまってから、もう六年たった。いまこれを書いているのは、彼のことをわすれないためだ。友だちのことをわすれるのは悲しい。誰にでも友だちがいたわけじゃないんだ。それにぼくだって、数字にしか興味がないおとなになってしまうかもしれない。だから、ぼくは、一箱の絵の具と鉛筆を買ってきた。この歳になってもう一度絵に取りかかるのはたいへんだ。六歳のころ、大蛇の外側と内側を描いた経験しかない人間にとっては! もちろんぼくは、できるかぎり本物に似た絵を描くつもりだ。でも、うまくいくかどうか、ぜんぜん自信がない。似てる絵もあるし、あまり似てない絵もあるだろう。それから、背丈もまちがいやすい。王子さまが大きくなりすぎたり、小さすぎたりしてしまうんだ。王子さまの服の色も、よく覚えてなかったりする。そんなわけで、ぼくは、どうにかこうにか、つっかえつっかえ手探りで描いているんだ。しかも、もっとたいせつな細かいところもまちがえているかもしれない。でも、だからといって、ぼくを責めないでほしい。ぼくの友だちは、ぜんぜん説明なんかしてくれなかったんだから。彼はたぶん、ぼくのことを、自分と同じような人間だと思ってくれていたんだ。でも、そのぼくは、悲しいことに、箱のなかに羊を見ることなんてできない。きっとぼくは、少しばかりおとなの人間なのだろう。ぼくはたぶん、年老いてしまったのだ。
五
ぼくは、王子さまがやってきた星のこと、旅の始まりのこと、その旅の道中のことを、毎日少しずつ知るようになった。たまたま王子さまが口にだした考えを聞いているうち、ほんの少しずつ、ぼくにもわかってきたんだ。三日目に、おそろしいバオバブの話を知ったのも、そんなふうにしてだった。
今度もまた、羊のおかげだった。王子さまは、深刻な疑問にぶつかったという顔で、急に問いかけてきた。
「羊が小さな木を食べるって、ほんとなんでしょ?」
「ああ、ほんとさ」
「わあ、よかった!」
羊が小さな木を食べるかどうかが、なぜそんなに重要な問題なのかぼくにはわからなかった。王子さまはこうつづけた。
「そしたら、羊はバオバブも食べるよね?」
ぼくは、バオバブは小さな木なんかではないこと、それは教会堂くらい大きくて、もしゾウの群れを連れていったとしても、一本のバオバブさえ食べきれないということを王子さまに教えた。
ゾウの群れというたとえを聞いて、王子さまはまた弾けるように笑った。
「ぼくんとこだったら、ゾウを重ねておかなくちゃならないなあ……」
でも、利発そうに、彼はこう指摘した。
「でもバオバブだって、大きくなる前、初めのうちは小さいじゃない」
「そうだ、そうだね! でも、なんで君は、小さなバオバブを羊に食べてほしいんだい?」
王子さまの答えはこうだ。
「だってほら、わかるでしょ!」
そんなこと、言うまでもない当たり前のことだ、というふうだ。そこでぼくは、ひとりで知恵をふりしぼってこの問題を理解しなくてはならなかった。
じっさいのところ、王子さまの星には、あらゆる星と同じく、いい草と悪い草があった。いい草のいい種と、悪い草の悪い種があるのだから。でも、種はひとめにつかない。土のなかにひっそりと眠っていて、ある日、種の一つが思いついたように目を覚ます。目を覚ました種は、背伸びして、はじめはおずおずと、太陽に向かってみずみずしい茎をのばす。それが二十日大根とか薔薇の芽なら、そのままほうっておいて、育つままにしておけばいい。でも、それが悪い植物なら、見つけたらすぐ地面から引きぬかなくちゃならない。王子さまの星には、恐ろしい種があった。バオバブの種だ。星の土にはバオバブの種がはびこっていた。バオバブは、手遅れにならないうちになんとかしないと、もうどうしようもなくなる。星ぜんたいをおおってしまうんだ。根で星にきりきりと穴をあけてしまう。そしてもしその星がすごく小さくて、バオバブの数が多ければ、星は粉々に砕けてしまう。
「きちんとする習慣を持つってことなんだけど」と、王子さまはあとになってからぼくに言った。「朝、自分の身支度が終わったら、今度は丹念に星の世話をしてやるんだ。定期的にバオバブを引きぬかなくちゃいけないんだよ。パオバブが薔薇と見分けがつくようになったらすぐね。だって、最初、芽をだしたばかりのバオバブは、薔薇とそっくりだから。つまらないけど、とても簡単な仕事だよ」
める日、王子さまは、ぼくの星の子どもたちがこのことをしっかり頭にいれておけるよう、絵を描いておいたほうがいいと言った。「だって、いつかその子たちが旅をしたとき、きっと役立つんじゃないかな。自分がしなくちゃならない仕事をあとまわしにしたって、問題ないときもある。でも、バオバブの場合、そんなことしたら必ずとんでもないことになるんだ。ぼくは、怠け者が一人で住んでいる星を知ってるんだよ。その怠け者は、バオパブの芽を三本ほうっておいて、それでどうなったかというと....」
ぼくは、王子さまが教えてくれたとおり、怠け者の星の絵を描いてみた。ぼくは、お説教じみたことが好きじゃない。でも、みんな、バオバブがどんなに危ないかちっとも知らないし、小惑星でひとがものごとをきちんとしなかったときの危険ははかりしれないから、一回だけ例外をもうけることにする。ぼくはこう言いたいんだ。「子どもたちよ!バオバブには気をつけなさい!」ぼくは、この絵をずいぶんがんばって描いた。ぼくの友人たちも、ぼく自身も、長いあいだ背中あわせに生きているのに気づかないでいる危険が存在することを警告するためだ。つまり、苦労して描く価値のある教訓が、ここにはこめられているんだ。ところで君たちは、こんなふうに思うかもしれないね。「なんでこの本には、このバオバブの絵と同じくらい堂々として立派な絵がないんだろう?」 答えはかんたん。ほかの絵もがんばってはみたけれど、うまくいかなかっただけだ。このバオバブを描いたとき、ぼくは、たいへんだ、緊急事態だ、という思いでいっぱいだったんだよ。
六
ねえ、君、ぼくのたいせつな王子さま、ぼくはこんなふうにして、君の物憂いささやかな暮らしのことを少しずつ知るようになった。長いあいだ、君には慰めといったら、夕日を見る楽しみしかなかったんだね。ぼくは、四日目の朝、この新しい小さな秘密を知った。君がぼくにこう言ったときだ。
「ぼく、夕日が好きなんだ。いっしょに見に行こうよ」
「でも、待たなくちゃね……」
「待つって、なにを?」
「日が沈むのをさ」
君は最初、とても驚いたようだったね。それから自分はばかだなというふうに笑い、こう言った。
「ぼく、まだぼくんとこにいる気になってたんだ」
ほんとだね。誰でも知ってるとおり、アメリカ合衆国でお昼の十二時なら、フランスは日没の時間だ。日が沈むのを見たければ、一分後にフランスに行けばいい。残念ながら、フランスは遠すぎて一分では行けないだけだ。でも、君の星、本当にちっちゃな君の星なら、すわってるイスをちょっとだけ引っぱればいい。そうすれば、好きなだけ何度も夕焼けをながめることができる……。
「ある日ぼくは、日が沈むのを四十四回見たんだよ!」
そして君は、少ししてからこう言いたした。
「ねえ、あんまり悲しいと、夕日が好きになるよね……」
「じゃあ、四十四回夕日を見た日、君はそんなに悲しかったのかい?」
王子さまは、なにも答えなかった。
七
五日目、やはり羊のおかげで、王子さまの暮らしの秘密がまた一つぼくに明かされた。彼は、なんの前置きもなく、いきなりこう尋ねた。それは、長いことだまってずっと考えていた問題のようだった。
「羊ってさ、小さな木を食べるんだから、花も食べるかな?」
「そのへんにあるもんなら、なんでも食べるさ」
「トゲのある花でも?」
「ああ。トゲがある花だってね」
「それじゃ、トゲっていったいなんの役に立つの?」
ぼくは知らなかった。そのときぼくは、エンジンにきつく締まっているボルトをはずそうと必死になっていた。ぼくはすごく不安になっていた。エンジンの故障は思っていたよりずっと深刻なようだし、飲み水はもうすぐなくなりそうだった。だからぼくは、最悪の事態も考えはじめていた。
「ねえ、トゲっていったいなんの役に立つの?」
王子さまは、一度質問をしたら、いつもけっしてあきらめようとしなかった。ボルトにいらいらしていたぼくは、いいかげんに答えた。
「トゲなんて、そんなもんはなんの役にも立たないんだ。たんに花が意地悪したいだけなんだ!」
「え!」
ちょっとだまったあと、彼は、ぼくが言ったことにムッとしたようすで、ぼくにこう言葉をあびせた。
「ぼくはそう思わないよ! 花はか弱いんだ。無邪気なんだ。自分だってだいじょうぶって安心しているんだ。トゲがあるから、自分はおそろしく強いと思ってるんだ......」
ぼくは、なにも答えなかった。そのとき、考えごとにふけっていたのだ。「このボルトがこのままはずれないつもりなら、ハンマーで叩いて吹っとばしてやる」王子さまは、ふたたびぼくの考えごとをさえぎってこう言った。
「ねえ、ほんとにそう思ってるの? 花は.....」
「ちがうよ、ちがうんだってば! ほんとはそんなこと思っちゃいないよ。 いいかげんに答えただけなんだよ。ぼくは今、まじめな問題に取り組んでるから!」
王子さまは、あ然としてぼくを見た。
「まじめな問題!」
彼はぼくをながめていた。手にハンマーを持ち、指はきたない機械油にまみれて黒く、彼にはとても醜く見えるものの上にかがみこんでいるぼくを。
「まるでおとなのひとみたいな話し方をするんだね!」
それを聞くと、ぼくはちょっと恥ずかしくなった。でも、彼は情け容赦なくこう言いたした。
「なにもわかっちゃいないんだ…、なにもかも全部ごたまぜにしてるんだ!」
王子さまは、本当に腹を立てていた。イライラして頭をふり、金色の髪が風になびいた。「ぼく、すごい赤ら顔の男のひとが住んでる星に行ったことがあるんだ。そのひとは、一度だって花の香りなんかかいだことがない。星を見たことがない。誰も愛したことがない。やることといったら、計算だけなんだ。そして一日中、あなたみたいに言いつづけてるんだ、わたしはまじめな人間だ、まじしめな人間だって! それでうぬぼれでいっぱいになってるんだ。でも、そんなの人間じゃない、そんなのはキノコだ!」
「そんなのは何だって?」
「キノコッ!」
いまや王子さまは、顔が青ざめるほど怒っていた。
「花は、何百万年も前からずっとトゲをつけてる。それなのに羊は何百万年も前からずっと花を食べてる。だったら、花は、なんでそんな役に立たないトゲを苦労してつけようとするのか、それを知りたいと思うのは、まじめなことじゃないの?花と羊のあいだの戦争は、だいじなことじゃないの?ふとった赤ら顔の男のひとの計算よりも、だいじでまじめなことじゃないの?そして、ぼくがの星にしかない世界でたった一つの花を知っていて、でも、たとえばある朝、小さな羊が、自分がなにをしてるかわからないままその花をぱくりと食べちゃうかもしれないとしたら、それはだいじなことじゃあないの!?」
彼は顔を赤らめ、そしてつづけた。
「何千万も数えきれないほどある星のなかで、たったひとつの星にしかない花を愛してるひとがいたら、そのひとは星空をながめるだけで幸せになれるんだよ。ああ、ぼくの花は、あのどこかにいるんだって。でも、もし羊が花を食べてしまったら、それはそのびとにとって、すべての星がとつぜん消えてしまうのと同じなんだ!それでもそれは、だいじなことじゃあないの!?」
王子さまはもう話しつづけることができなかった。ふいにのどをつまらせ、すすり泣きはじめたのだ。もう夜になっていた。ぼくは工具をほうりだしていた。あんなハンマーも、ボルトも、渇きも死も、もうどうだっていいことに思えた。この星の上、ぼくが、ぼくの星である地球という惑星の上には、小さな王子さまがいて、なぐさめてやらなければならないのだ。ぼくは彼を抱きとめ、しずかにゆすった。「君が愛している花は、危ない目になんか会わないんだ....。ぼくは「羊に、口輪を描いてあげるよ....。君の花には、身を守るものを描いてあげるよ....。それにぼくは....」 ぼくは、それ以上、なんと言っていいのかわからなかった。自分がまるでまぬけに思われた。どうしたら彼の心をとらえることができるのか、どうすればまた気持ちが通いあうのか、ぼくにはわからなかった....。涙の国とは、じつに神秘なものだ。
八
ぼくは、じきにこの花のことをもっと知るようになった。この花が現れる前も、王子さまの星にはとても素朴な花がいつも咲いていた。身を飾る花びらは一重だけで、場所もとらず、誰のじゃまもしない花たちだ。それらの花は、朝、草のあいだから顔をだし、晩にはしぼんでいくのだった。でもある日、どこからかはこばれてきた種が芽をだした。王子さまは、ほかとは似ていないその芽を注意深くながめ、警戒を怠らなかった。もしかしたら新種のバオバブかもしれない。しかし、その苗木はじきに成長をとめ、花を咲かせる準備をはじめた。枝に、それはそれは大きなつぼみがつくのを見た王子さまは、すぐ奇跡のように花が咲きだすと思った。でも、美しい装いの準備はなかなか終わらず、花は、緑色の隠れ家にひそんだままだった。花は、注意深く自分の色を選んでいた。ゆっくりと身支度をととのえ、花びらを一枚一枚ぴったりと重ねあわせていった。彼女は、ひなげしみたいにしわくちゃな顔で現れたくなかった。美しさがあたりに光り輝くような姿で生まれるのでなくてはいやだった。そう! 彼女は、じつにおめかしやさんだったんだ! 花の秘密のお化粧は、何日も何日もつづいた。そしてある日、まさに日が昇るそのとき、彼女は花開いた。念には念をいれた装いの仕上げをようやく終えた花は、あくびしながらこう言った。
「ああ、わたし、いま目が覚めたばっかりで······。ごめんなさいね、まだ髪が乱れていて……」
王子さまは、感嘆の声をおさえられなかった。
「君、なんて美しいんだろう!」
「ね、そうでしょ」と、花は鷹揚に答えた。「わたし、太陽といっしょに生まれてきたのね....」
王子さまは、その花が慎み深い性格とはとても言えないことがよくわかった。
しかし、それでもやっぱり彼女は感動するほど美しかったのだ!
「わたし思うんだけれど、朝食の時間じゃないかしら」と、花はすぐ言いたした。
「よろしけれは、わたしの食事のことを考えてくださると....」
王子さまは、あわてて新鮮な水のはいったじょうろを持ってくると、花に水のお給仕をした。
花はこんなふうに気取りやで、気分を害してしまいやすい質だったため、王子さまは、じきに花のことで苦しむようになった。たとえば、ある日のこと、花は自分の四本のトゲのことを自慢しながら、王子さまにこう言った。「恐ろしい爪をしたトラが来たってだいじょうぶだわ!」
「でも、この星にはトラなんていないし」と、王子さまは反論した。
「それに、トラって草は食べないよ」
「わたし、草、はんかじゃありません」と、花はゆっくり答えた。
「ご、ごめんなさい....」
「わたし、トラなんか怖くありませんけれど、風が吹きつけるとぞっとしてしまうわ。あなた、風よけのついたてをお持ちじゃないかしら?」「風が吹くとぞっとするなんて....。植物なのに困ったもんだなあ」と、王子さまは思った。「この花は、とっても気むずかしいんだ....」
「晩になったら、わたしにガラスの覆いをかぶせてくださいね。あなたの星、とても寒いんですもの。居心地が悪いわ。わたしが前いたところでば....」
でも、花は、そこで口をつぐんだ。花は、種の姿でこの星にやってきたのだから、ほかの世界のことなど、なにも知るはずがなかったからだ。見えすいた嘘をつこうとするところを見られた花は、恥をかかされたように感じ、ごまかすためにコホコホと二、三回咳をした。「で、ついたては?」
「捜しに行こうとしたら、君がまた話しはじめたんだよ!」
すると花は、むりにコホンと空咳をした。どうしても王子さまを後悔させて苦しめてやりたかったからだ。
かくして、心から愛していたにもかかわらず、王子さまは、じきに花が信じられなくなった。取るにたらない言葉を真にうけ、かえってひどく不幸せになってしまったのだ。
「花の言うことを聞かないほうがよかったんだと思う」と、ある日王子さまは、ぼくにうち明けた。「花っていうのは、話を聞くものじゃないんだ。ながめたり、香りをかいだりすべきなんだ。ぼくの花は、ぼくの星をいい香りでいっぱいにしてくれたけど、ぼくは、それを楽しむことができなかった。トラの爪の話だって、あのときぼくはずんぶんイライラしちゃったけど、ほんとは、ああ、かわいいなあってやさしい気持ちにならなくちゃいけなかったんだ....」
「あのころ、。ぼくはなにもわかっていなかったんだ!花のこと、言葉じゃなくって、花がぼくにしてくれることで判断しなくちゃいけなかったんだ。花は、ぼくをいい香りで包んでくれたし、ぼくを明るく照らしてくれた。ぼくは、ぜったい逃げだしちゃいけなかったんだ!つまんない意地悪のうしろには、花のやさしさが隠れていることに気づかなくちゃならなかったんだ!花って、すごく矛盾してるんだよ!でも、ぼくはあんまり幼くて、花をどう愛していいのかわからなかった」
九
星を出ていくとき、王子さまは、渡り鳥が飛んでいくのをうまく利用したのだとぼくは思う。出発の朝、王子さまは自分の星をきちんと整えた。活火山は、たんねんに煤払いをしてやった。星には二つの活火山があったんだ。朝食をあたためるのに、あつらえ向きの火山だ。火が消えている火山もひとつあった。でも、王子さまは、「ぜったいだいじょうぶってわけじゃないからね!」と考え、同じように煤払いしてやった。きちんと煤をはらってすっきりさせておけば、火山は静かにむらなく燃えて爆発なんかしない。火山の爆発は、煙突が火を噴くようなものなんだ。もちろん、この地球では、ぼくらはあんまり小さすぎて火山の煤払いなんてできない。だから、地球の火山は、ぼくらにとって、こんなにもやっかいの種となってるんだ。
それから王子さまは、ちょっと寂しい気持ちになりながら、最後のバオバブの芽を引きぬいた。もう二度ともどってくることはないだろうと思っていた。ふだんやりなれていたこうした仕事は、この朝、しみじみと心にしみるようだった。そして花に最後の水をあげ、ガラスの覆いをかぶせる用意をすると、自分が泣きだしたい気持ちでいることに気がついた。
「さよなら」と、彼は花に言った。
花は、なにも答えなかった。
「さよなら」彼はくり返した。
花は咳払いした。風邪をひいているからじゃない。
「わたし、ばかだったわ」とうとう花は口をきいた。「悪かったと思ってる。あなた、しあわせにならなきゃだめよ」
王子さまは、花が自分を責めないのでびっくりした。すっかり狼狽して、彼はガラスの覆いを手にしたまま、その場に立ちつくした。なぜ花がこんなふうに穏やかにやさしくしてくれるのか理解できなかったのだ。
「だって、わたし、あなたのこと愛してるわ」と花は彼に言った。「なにもわかっていなかったのね、わたしのせいで。もうどうでもいいけれど。でも、あなただって、わたしと同じくらいばかだわ。しあわせにならなきゃだめよ....。ガラスの覆いはそこにほっておいて。もういらないから」
「でも、夜風が……」
「わたしの風邪なんて、たいしたことないもの……。夜の涼しい風にあたれば、気分も良くなるわ。わたし、花なんだもの」
「ても、虫とか獣とか……」
「毛虫の二、三匹くらい我慢しなくちゃ、蝶々に会いたければ。きっと蝶々は、とってもすてきでしょうね。それに、蝶々のほか、いったい誰がわたしに会いに来てくれるっていうの?だって、あなたは遠くに行ってしまうんだもの。それから、獣ならだいじょうぶ。わたしにだって鋭い爪があるわ」
花はそう言うと、無邪気に四本のトゲを見せた。
「そんなにぐずぐずしてないでよ、いらいらするから。行くってもう決めたんでしょ。だったら早く行ってしまって!」
花は、泣いているところを見られたくなかった。ほんとうに気位の高い花だったんだ。
十
王子さまは、小惑星三二五、三二六、三二七、三ニ入、三二九、三三〇があるあたりに着いた。そこで、王子さまは、仕事を探したりなにかを学んだりするために、それらの星を訪れることにした。
最初の星には、王様が住んでいた。王様は、緋色の衣と白てんの毛皮をまとい、飾り気はないけれどじつに堂々とした王座に陣取っていた。
王子さまの姿が目にはいると、王様は、
「おお、臣下が来たようじゃ!」
と、大声をだした。王子さまは不思議に思った。
「なぜぼくのことわかったのかな。会うのははじめてなのに!」
王様というものにとって、世界はとても単純にできているということを王子さまは知らなかった。自分以外はすべて臣下なのである。
「近うよるがよい。余がそなたをもっとよく見ることができるように」と、王様は言った。とうとう臣下がやってきて、王様としてふるまえることが誇らしくてならなかった。
王子さまは、あたりを見まわしてすわるものを捜したけれど、りっぱな毛皮のマントが星を占領してしまっていた。そこで王子さまはしかたなく立ったままでいた。そして、とても疲れていたのであくびをした。
「王の面前であくびをするとは、礼儀に反しておるぞ」と、この君主は王子さまに言った。「余は、そなたにあくびすることを禁ずる」
「がまんできなかったんです」と、王子さまはすっかりどぎまぎして答えた。「ぼく、長い旅をしてきて、眠っていなかったから……」
「よろしい、それでは」と、王様は答えた。「余は、そなたにあくびするよう命ずる。
もう何年もひとがあくびするのを見ておらん。余には珍しい見せ物じゃ。ほら、もう一度あくびをせい。命令じゃ」
「そ、そんなこと言われても、どうしよう....。ぼく、もうできません....」と、王子さまはまっ赤になって答えた。
「ふうむ、ふうむ!」と、王様は返事をした。「それでは、そなたに命じよう、ときにあくびをし、ときには……」
王様は、早口でなにかもごもごと言った。ちょっといらだっているようすだった。
というのも、王様は、自分の権威が尊重されなければ気がすまなかったのだ。不服従は許せない。ぜったい服従の帝王だ。でも王様は、とてもひとがよかったので、できないような命令はださなかった。王様は、口癖のようにこう言ったものだ—。
「もし余が、将軍にむかって海鳥に変身しろと命じて、将軍がその命令にしたがわなかったとしたら、それは将軍のせいじゃなかろう。余のあやまちじゃ」
「ばく、すわってもいいでしょうか」と、王子さまはおずおずとたずねてみた。
「余は、そなたにすわるよう命ずる」と、王様は答え、白てんの毛皮のマントをおごそかに引きよせた。
でも王子さまはびっくりしていた。その星はとっても小さいのだ。いったいぜんたい、王様はなにを支配しているのだろう?
「あの、殿下………」と、王子さまは聞いてみた。「ぶしつけな質問で失礼だとは思うんですけど····」
「余は、そなたが余に質問することを命ずる」と、王様は急いで答えた。
「殿下、そのお....殿下はいったいなにを治めているんですか?」
「すべてじゃ」と、王様はしごく簡単に答えた。
「すべて?」と、王子さまは聞き返した。
王様は、控えめな身ぶりで、自分の星とそのほかの惑星、そして星々すべてを指さした。
「それ、ぜんぶ?」と、王子さまは聞いた。
「そう、これぜんぶじゃ」と、王様は答えた。
王様は、絶対君主であるばかりでなく、この宇宙全体の帝王なのである。
「それじゃあ、星もみんな殿下の言うことにしたがうの?」
「もちろんである」と王様は答えた。「星々もただちにしたがうのじゃ。不服従は許されん」
王子さまは、王様の権力にすっかり感服してしまった。もし王子さまがそんな力を持っていたなら、一日のうち四十四回どころか、七十二回も、いや、百回も二百回もイスをずらしたりせずに夕日をながめられただろう!王子さまは、自分が立ち去ったあの小さな星のことを思いだし、少しばかり哀しくなってしまったので、思いきって王様にお願いをしてみた。
「あの、ぼく、夕日が見たいんです。やってみていただけないかしら…。太陽に沈むよう命令してくれませんか ....」
「もし余が、将軍にむかって、花から花へと蝶のように飛べと命じたら、あるいはもし、悲劇のお芝居を書けと命じたら、さらにあるいは、海鳥に変身しろと命じたら、どうじゃ?将軍がそれらの命令を実行できなかったとしたら、悪いのは誰であろう?余であろうか将軍であろうか?」
「殿下です」と、王子さまは断固として答えた。
「そのとおりである。各人には、その者ができることを要求しなくてはならぬ」と、王様は話をつづけた。「権威とは、なによりもまず、道理にもとづいておる。もし人民に向かって、海に身投げしろと命じたら、革命が起こるであろう。余に命令する権利があるのは、余の命令が道理にかなっているからなのじゃ」
「それじゃあ、ぼくの夕日は?」と王子さまは話をもどした。王子さまは、一度自分がした質問は、けっしてあきらめないのだ。
「そなたの日没、それは、そなたに訪れるであろう。余は、太陽にそう命ずる。だが、余は待っておるのだ。余の統治の術にのっとり、しかるべき条件が整うときを」
「いつごろになるかしら?」王子さまは王様に質問した。
「ううむ、ううむ!」と、王様は答えて、すぐに大きな暦を見た。「ふうむ、ふむ!そうじゃな、それは、今晩の場合、ええーと、七時四十分ごろになるであろう!そなたは、そのとき、太陽がちゃんと余にしたがうのを見るであろう」
王子さまはあくびをした。すぐ夕日が見られないのが残念だった。それから、少しばかり退屈しはじめていた。
「ぼく、もうここでなにもすることがないんです」と、王子さまは王様に言った。
「もう行きますね!」
「出発してはならぬ!」と、王様は答えた。自分の臣下を持っていることが、とっても誇らしかったからだ。「行ってはならぬ。そなたを大臣にしてつかわそう!」
「大臣って、なんの?」
「ええっと....、ほ、法務大臣じゃ!」
「でも、裁きを受けるひとなんていないじゃないですか」
「わからんぞ」と、王様は答えた。「余は、まだ自分の王国をぐるっと見てまわっておらぬ。余は、ずいぶんと歳をとっておるし、ここには四輪馬車を置く場所もないからの。歩いてまわるのは難儀なのじゃ」
「えー!でも、ぼく、もう見ちゃいましたよ」と、王子さまは言った。そして、身をのりだして、星の裏側をもう一度ちらっと見た。「やっぱり、あっちにも誰もいないし····」
「それでは、そなたは自分を裁けばよろしい」と、王様は答えた。「それはまことに難しいことであるぞ。他人を裁くよりも、自分を裁くほうが何倍も難しいものじゃ。もしそなたが、うまく自分を裁けたら、そなたは真の賢者といえるであろう」
「でも、ぼく、自分を裁くのはどこにいたってできると思う。ここにいる必要はないでしょ」
「ふうむ、ふうむ!」と、王様は答えた。「この星のどこかに、年老いた大ネズミがおるはずじゃ。夜中にその足音を聞いたからの。そなたは、そのネズミを裁くことができよう。ときどき老ネズミに死刑宣告するがよろしい。さすれば、ネズミの命は、そなたの正義の裁きしだいとなろう。だが、死刑を宣告したら、そのたびに恩赦をあたえて、やりくりせねばならぬ。なにしろ、一匹しかおらぬのだから」
「ぼく、いやだなあ」と、王子さまは答えた。「死刑なんて宣告したくないや。それに、ぼく、もう行かなくちゃ」
「ならぬ」と、王様は言った。
王子さまは、出発の準備をすませていたけれど、この年老いた王様を苦しめたくなかった。
「やんごとなき陛下、もし陛下の命令が、忠実に守られることがお望みでしたら、道理にかなった命令を、ぼくにおあたえになったらよいでしょう。陛下は、たとえば一分以内に出発するようお命じになるんです。ぴったりの条件だし……」
王様は、なにも答えなかった。王子さまは最初ちょっとためらったが、ため息をついて出発しようとした。すると……。
「余は、そなたを余の大使に任ずる」と、王様は大急ぎで叫んだのだった。
王様は、威厳に満ちてりっぱに見えた。
「おとなって、ほんとにへんだなあ」王子さまはそうつぶやきながら、旅をつづけた。
十一
二番目の星には、うぬぼれ男が住んでいた。
「ほおら、ほら!わたしを誉めたたえる者がきた!」遠くに王子さまを見かけると、うぬぼれ男はそう叫んだ。
というのも、うぬぼれたひとにとって、他人はすべて自分を誉めたたえるものだからだ。
「こんにちは」と、王子さまは言った。「あなた、すごい帽子をかぶってますね」
「これは、挨拶のための帽子でしてな」と、うぬぼれ男は答えた。「みながわたしを拍手喝采するとき、それにこたえて挨拶するのに使うのです。ただ、残念ながら、今まで誰もここを通りかからなくって」
「あのお、それで?」と、王子さまはたずねた。わけがわからなかったのだ。
「君の手を、右手と左手を、打ち合わせればよいのです」と、うぬぼれ男は忠告した。
王子さまは、右手と左手をパチパチと打ち合わせた。うぬぼれ男は、しずしずと帽子をあげて挨拶してみせた。
「わあ、王様を訪問するよりか、おもしろいなあ」と、王子さまは思った。そして、右手と左手をまたパチパチと打ち合わせはじめた。うぬぼれ男は、ふたたび帽子をぬいで挨拶をした。
こうして五分すると、王子さまはこの単調な遊びにあきてしまった。そこで、
「ねえ、その帽子を落とすには、どうしたらいいのかな」
と、たずねた。
しかし、うぬぼれ男はなにも聞いていなかった。うぬぼれたひとというものは、誉め言葉のほかはなにも耳にはいらないものなのだ。
「君は、ほんとうに心からわたしを賛嘆してるのですか?」と、男はたずねた。
「"さんたんする"って、どういう意味?」
「"賛嘆する"とは、わたしがこの星で一番ハンサムで、一番おしゃれで、一番お金持ちで一番頭がいいと認めることなのです」
「でも、この星にはあなたひとりしかいないじゃない!」
「それでもいいから、とにかく賛嘆していただきたいのです!」
「賛嘆しますよ」と、王子さまは肩をすくめながら言った。「でも、いったい、それのどこが楽しいのかなあ?」
そして王子さまはこの星を立ち去った。
「おとなって、ぜったいへんだと思う」王子さまは、そうつぶやきながら、また旅をつづけた。
十二
次の星には、酒飲みが住んでいた。星にいた時間はとても短かったけれど、ここを訪れたせいで、王子さまはひどく物哀しい思いに沈むことになった。
「なにしてるの?」と、王子さまは酒飲みにたずねた。酒飲みは、ずらっとならんだ空の酒ビンとたっぷり酒のはいったビンを前に、だまってすわっていた。
「酒を飲んでるのさ」と、酒飲みは陰鬱な調子で答えた。
「なんでお酒を飲むの?」と、王子さまはたずねた。
「わすれるためだよ」と、酒飲みは答えた。
「わすれるって、なにを?」と、王子さまはたずねた。王子さまはもうこの男が気の毒に思えてきていた。
「恥ずかしいことをわすれるためさ」と、酒飲みは、うなだれてうち明けた。
「恥ずかしいって、なにが?」と王子さまはたずねた。王子さまは、この男を助けてあげたいと思いはじめていた。
「自分が酒飲みなのが恥ずかしくって、それをわすれるために酒を飲んでるんだ!」
男は、そう答え終わると、すっかりだまりこんでしまった。
こうして王子さまは、とほうに暮れながらこの星を立ち去った。
「おとなって、ほんとにほんとに、ぜったいへんだ」王子さまは、旅をつづけながら、そうつぶやいた。
十三
四番目の星は、実業家の星だった。実業家は、あんまり忙しくて、王子さまが着いたとき、顔をあげるひまもなかった。
「こんにちは」と王子さまは挨拶した。「あの、たばこの火が消えてますよ」
「二たす三は五。五たす七は十二。十二たす三は十五。はい、こんにちは。十五たす七は二十二。二十二たす六は二十八。たばこに火をつけなおすヒマなどないもんでね。二十六たす五は三十一。おお!すると、五億百六十二万二千七百三十一ということになる」
「五億のなんなの?」
「おや、君、まだそこにいたのかね?そりゃ、五億の……。あれ、わからなくなってしまった。とにかく、それほど仕事がたくさんあるのだ。わたしはまじめなことをしているのだ。君とくだらない話をして遊んでるひまなんてない!二たす五は七....」
「それで、五億のなんなんですか?」と、王子さまはくり返した。いったん質問をしたら、けっしてあきらめないのである。
実業家は顔をあげた。
「わたしはこの星に住んで五十四年になるが、仕事をじゃまされたことは三回しかない。一度目は、二十二年前。どこからか落ちてきたコガネ虫がブンブンとてつもない音をたてて、わたしは計算を四つもまちがえてしまった。二回目は、十一年前。リューマチに悩まされたとき。運動不足なんだ。ふらふら歩いているひまなどないからな。このわたしは、まじめな仕事をしているのだ。それから三回目、それは君だ!えーと、いくつだったかな、五億と……」
「で、五億のなんなの?」
実業家は、自分がそっとしておいてもらえないことを理解した。
「ときどき空に見える、何億もの小さいもの」
「ハエ?」
「ちがう。小さくて光るもの」
「みつばち?」
「ちがう。金色の小さいもので、それを見ると怠け者がうっとりと空想にふけってしまうもの。しかし、わたしはまじめだ。ぼおっとしているひまなどない!」
「あー、わかった! 星?」
「そうだった。星」
「それで、あなたは、五億の星でなにをしているの?」
「五億百六十二万二千七百三十一の星。わたしはまじめだ。正確にかぞえている」
「だから、その星でどうするの?」
「わたしがなにをするかって?」
「うん」
「なにも。わたしはそれらの星を所有している」
「その星は、みんなあなたのものなの?」
「そうだ」
「でも、ぼく、ある星に王様がいるのを見たよ。その王様は……」
「王様というのは、なにも所有していないのだ。王様は"君臨"しているんだから。それはずいぶんちがうことなのだ」
「で、星を所有すると、なんになるの?」
「金持ちになれる」
「じゃあ、金持ちっていうのは、なんの役に立つの?」
「他の星を買うのに役立つ。新しい星が見つかれば」
「このひとの理屈は」と、王子さまは考えた。「前の星にいた酔っぱらいの言い分とちょっと似ているなあ」
しかし、王子さまはまだ質問をつづけた。
「星って、どうやって所有するの?」
「あらゆる星は誰のものだと思う?」と、実業家は、気むずかしげな顔で、逆に王子さまに質問をはじめた。
「わかんない。誰のものでもない」
「それでは、わたしのものだ。なぜなら、わたしが一番最初にそれらを所有することを思いついたからだ」
「思いつくだけでいいの?」
「むろんだとも。もし君が、誰のものでもないダイヤモンドを発見したら、そのダイヤは君のものだ。誰のものでもない島を発見したら、それは君のものだ。なにかアイデアを最初に発見したら、君はその特許をとれる。つまり、そのアイデアは君のものなのだ。したがって、わたしは星ぜんぶの所有者なのである。わたし以前には、誰も星全体を所有しようと思いつかなかったのだから」
「いやあ、ほんとだなあ」と王子さまは言った。「それで、この星ぜんぶで、なにをするの?」
「管理する。星の数をかぞえ、さらにまたかぞえて」と、実業家は言った。「むずかしい仕事だ。しかし、わたしはまじめな人間なのだ!」
王子さまは、まだなっとくしていなかった。
「あのね、ぼくがマフラーを持ってると、そのマフラーを首に巻いて、持っていけるでしょ。それから、花が自分のものだったら、その花を摘んで、持っていけるでしょ。でも、星は手に取れないじゃない!」
「できないとも。しかし、銀行にあずけることはできる」
「え、どういうこと?」
「つまりだな、星の数を小さな紙に書き、そしてそれを引き出しにしまって鍵をかけるってことだ」
「それだけ?」
「それでじゅうぶん」
「それは愉快だなあ」と、王子さまは考えた。「それって、まるで詩みたいだ。でも、あまりまじめなことでもないなあ」
王子さまは、まじめということに対して、おとなたちとはずいぶんとちがう考え方をしていた。
「あのね」と、王子さまは話をつづけた。「ぼく、花をひとつ持っていて、毎日水をやるんだ。それから火山を三つ持っていて、毎週煤払いをするんだ。火が消えている火山も煤払いしてやるよ。どうなるかわからないからね。つまり、ぼくが持っていることは、火山のためになっているんだ。花のためになってるんだ。でも、あなたの持ち物になったって、星にいいことなんて、なにもないじゃない…」
実業家は口を開いたけれど、いうべき言葉は見つからなかった。そして王子さまは、その星を立ち去った。
「おとなって、ほんとに、どうしようもなく、へんなんだ」王子さまは心のなかでそうつぶやきながら、また旅をつづけた。
十四
五番目の星は、とても奇妙だった。今までのどんな星より小さかった。そこには街灯が一本と、その街灯に灯をともすひとがひとりいて、それだけで星はいっぱいになってしまっていた。宇宙のどこか、家も住人もいない星で、街灯や点灯人がいったいなんになるのか、王子さまにはわからなかった。でも、王子さまはこう考えた。
「たぶん、このひと、どうかしてるんだ。でも、王様やうぬぼれ屋や実業家や酔っぱらいほどへんじゃない。少なくとも、この仕事には意味があるもの。街灯に灯をともすと、まるで新しく星を生みだしているみたいだ。花をひとつ咲かせているみたいだ。街灯を消すときには、その星や花を眠らせるんだ。それって、なかなか美しい仕事だな。この仕事はほんとうに有益だ、だって、美しいんだから」
星に到着すると、王子さまは点灯人にていねいに挨拶した。
「こんにちは。なぜあなたは、今、街灯の灯を消したんですか?」
「そういう指示でな。ほら、おはよう」
「指示って?」
「街灯の灯を消すことさ。 ほら、こんばんは」
そう言うと、点灯人は今度は街灯の灯をともした。
「でも、なんでまた灯をともしたの?」
「そういう指示なのさ」と、点灯人は答えた。
「わからないなあ」と、王子さまは言った。
「わかるもわからないも」と、点灯人は言った。「指示は指示なのさ。ほら、おはよう」
そう言って、点灯人はまた街灯の灯を消した。
そして点灯人は、赤いチェックのハンカチでひたいをぬぐった。
「わしは、ここでとんでもない仕事をしておるよ。昔はまともだったんだが。朝になると灯を消し、晩に灯をともす。昼、残りの時間は休んで、夜の残りの時間には眠る」
「じゃあ、そのころから、規則が変わってしまったの?」
「指示は変わっておらん」と点灯人は答えた。「そう、それが大問題なんだ!この星は、来る年来る年、どんどん早く回転するようになっておるのに、指示は変わらんのだ!」
「それで?」
「それで、いまや星は一分間に一回回転するから、わしは一秒たりとも休む時間がない。一分ごとに、灯をともしたり消したりせねばならん!」
「妙だなあ! あなたの星、一日が一分しかないなんて!」
ぜんぜん妙じゃないわい。わしらはもう一か月も話しこんでおるよ」
「一か月?」
「そうとも。三十分。つまり三十日!ほら、こんばんは」
こう言うと、点灯人はまた街灯に灯をともした。
王子さまは、点灯人を見た。指示にこんなにも忠実なこの点灯人が、好きになっていた。王子さまは、かつて自分の星で、イスをずらしながら夕日を何回も見ようとしたことを思いだした。王子さまは、この友人を助けてやりたいと思った。
「あのね……、ぼく、あなたがいつか休みたくなったときに休める方法を知ってるよ」
「わしは、いつだって一休みしたいさ」と、点灯人は言った。
誠実であっても、怠けたいと思うことはあるものだ。
王子さまは、つづけてこう言った。
「あのね、あなたの星、すっごく小さいでしょ。大股で三歩あるけば一周できるくらいだよね。だから、太陽がいつも頭の上にあるように、ゆっくりゆっくり歩けばいいんだ。灯をつけたり消したりするのに疲れたら、歩けばいいんだよ。そうすれば、好きなだけずっと昼がつづくでしょ」
「そりゃ、わしには、あまり足しにならんなあ」と、点灯人は言った。「わしがしたいのは、眠ることなんだ」
「うーん、それじゃ、うまくいかないなあ」と、王子さまは言った。
「そうなんだ、うまくいかん」と、点灯人も言った。「ほら、おはよう」
そう言うと、彼はまた街灯の灯を消した。
王子さまは、ふたたび旅をつづけながら、こう考えた。「あのひとは、ほかのひとたちみんなからばかにされるだろうな。王様からも、うぬぼれ屋からも、酒飲みからも実業家からも。でも、あのひとは、ぼくがへんじゃないと思ったただひとりのひとだ。それはたぶん、あのひとが、自分以外のことを一生懸命考えているからだと思う」
王子さまは後悔のため息をつき、こうつぶやいた。
「あのひとは、友だちになれたかもしれないただひとりのひとなんだ。でも、あのひとの星はあんまり小さすぎる。ふたりいる場所なんてないんだもの…」
さてしかし、王子さまは白状していないけれど、王子さまがこの星を名残惜しく思うのには、ほかの理由もあった。この星では、二十四時間のあいだに千四百四十回も夕日が見られるっていう理由だ!
十五
六番目の星は、前の星より十倍も大きかった。とほうもなく大きな書物を書いている上品な老人がそこに住んでいた。
「おやおや、探検家かね!」 王子さまを見ると、老紳士はそう叫んだ。
小さな王子さまは、机の上にすわり、ちょっと息を切らせた。もうずいぶんと旅をしてきたのだ!
「どこから来たのかね?」と、老紳士はたずねた。
「このおっきい本はなんなの?あなたは、なにをしているの?」と、王子さまは言った。
「わたしは地理学者じゃ」と、老紳士は言った。
「地理学者って?」
「海や大河や町や山や砂漠が、どこにあるか知っている学者のことじゃ」
「わあ、それ、とってもおもしろそうだなあ」と、王子さまは言った。「それこそ、ほんとうの仕事だよ!」
彼は、地理学者の星をぐるっと見わたした。こんなに堂々としてりっぱな星は今まで見たこともない。
「あなたの星、ほんとにすごいですねえ。大きな海はあるの?」
「さあ、わたしにはわからん」
「え!(と、王子さまはがっかりした)。じゃあ、山は?」
「さあ、それもわたしにはわからん」
「それじゃあ、町や大河や砂漠は?」
「さてさて、それもわからん」
「でも、あなた、地理学者なんでしょ?」
「そのとおり」と、地理学者は言った。「しかし、わたしは探検家ではない。わたしのところには、探検家がおらんのだ。町や大河や山や海や大洋や砂漠の数をかぞえに行くのは、地理学者の仕事ではない。地理学者は、あまりに重大な仕事についておるがゆえに、ほっつき歩くわけにはいかんのじゃ。机の前からはなれてはならん。そのかわり、地理学者は、自分の書斎に探検家たちを迎える。そして探検家に質問をし、その者たちの言うことを記録する。そして、ある探検家の話がおもしろいと思ったら、その者がきちんとした人物かどうか調査を行わせるのじゃ」
「なんで?」
「探検家がウソをついていたりすれば、地理学の本はだいなしになってしまうじゃろうが。探検家が大酒飲みの場合も」
「なんで?」
「なぜなら、酔っぱらいには、ものが二重に見えるからじゃ。すると、ほんとうは山がひとつしかない場所に、地理学者は山をふたつ記録してしまうことになる」
「それなら、ぼく」と王子さまは言った。「探検家失格になりそうなひと、知ってるよ」
「そうじゃろう。そこで、探検家がちゃんとした人物であれば、今度はその発見について調査をする」
「見に行くの?」
「いやいや。もっと、とても複雑な話でな。見に行くのではなく、探検家に、しかるべき証拠を持ってくるよう求める。たとえば大きな山を発見したのであれば、大きな石をそこから持ってくるよう要求するのじゃ」
地理学者は、そこでハッと話をとめた。
「しかし、君、君は遠くからやってきたのではないか!そうだ、君は探検家なんじゃ!君の星のことを、わたしに教えてくれんか!」
そして地理学者は、記録帳を開き、鉛筆をこりこり削った。探検家の話は、まず最初は鉛筆で記録する。インクを使って書くのは、探検家が証拠を持って帰ったあとの話だ。
「さあ、それで?」と、地理学者は質問をはじめた。
「えー!ぼくのとこ、そんなにおもしろくないよ」と、王子さまは言った。「すごくちっちゃいんだ。火山は三つ。ふたつは活火山で、残りのひとつは火が消えている。
でも、この先どうなるかはわからないよね」
「そう、わからないものじゃな」と、地理学者は答えた。
「それから、花もひとつあるんだ」
「花など、記録しない」と、地理学者は言った。
「なんでさ! 星で一番きれいなものだよ!」
「なぜなら、花とは、つかのまのものだからだ」
「"つかのま"って、どういう意味?」
「地理学の本というのは」と、地理学者は言った。「あらゆる書物のなかでもっとも謹厳なものじゃ。それは、けっして時代遅れにはならない。山が場所を変えることなど、まあまずめったにないからの。また、海の水が干上がることなど、まあまずめったにないからの。つまり我々は、いつまでも変わらぬものについて書くんじゃ」
「でも、火山は、消えてたのに、また噴火しはじめることがあるでしょ」と、王子さまは地理学者の言葉をさえぎった。「それで、"つかのま"って、どういう意味なの?」
「火山が休眠しても活動しはじめても、我々にとっては同じことなんじゃ」と、地理学者が言った。「我々にだいじなのは、それが山だということだ。山は変わることがない」
「ねえ、でも、"つかのま"って、どういう意味なの?」と、王子さまはくり返した。一度質問したことはけっしてあきらめないのである。
「それは、"近いうちに消え去ってしまう危機が迫っている"という意味でな」
「じゃあ、ぼくの花には、近いうちに消え去ってしまう危機が迫っているの?」
「もちろん」
「ぼくの花はつかのまなんだ」と。王子さまは心のなかでつぶやいた。「それに、あの花は、世界から自分を守るのに、四本のトゲしか持っていないんだ!それなのにぼくは、その花を置き去りにして、ひとりぼっちにしてしまったんだ!」
王子さまは、このとき初めて、後悔の念にとらわれた。しかし、気持ちを奮いたたせ、こうたずねた。
「ぼくは、これからどの星へ向かったらいいと思いますか?」
「地球じゃね」と、地理学者は答えた。「なかなかの評判であるから....」
こうして王子さまは、また旅に出た。自分の花に思いをはせながら。
十六
そういうわけで、王子さまは、七番目に地球を訪れることになった。地球は、そんじょそこらの惑星とはわけがちがう!そこには、百十一人の王様(もちろん、黒人の王様もわすれずにいれて)、七千人の地理学、九十万人の実業家、七百五十万人の酔っぱらい、三億千百万人のうぬぼれ屋、つまり、およそ二十億ものおとなが住んでいる。
地球がどのくらい大きいか、みなさんにわかってもらうため、ぼくはこう説明したいと思う。電気が発明される前には、六つの大陸ぜんぶあわせると、四十六万二千五百十一人の点灯人の大軍が、街灯に灯をともすのに必要だったんだ。
少し遠くから見ると、それはすばらしい眺めだった。この大軍の動きは、まるでオペラのバレエのように規則正しいリズムにのっていた。まず最初に、ニュージーランドとオーストラリアの点灯人たちの舞いがはじまる。そして彼らは、自分たちのランプに灯をともし終わると、眠りにつく。すると今度は、中国とシベリアの点灯人が舞う番だ。そして彼らもまた、舞台裏へと巧みに姿を消していく。そうすると今度は、ロシアとインドの点灯人の番。それから、アフリカとヨーロッパの番。次は南アメリカ、その次は北アメリカの番。彼らは、舞台に出る順番をけっしてまちがえたりしない。じつに荘厳なものだ。
ただ、北極にただひとつある街灯の点灯人と、その同僚である南極にただひとつある街灯の点灯人だけが、のらくらとヒマな日々を送っていた。彼らは、一年に二回だけ働けばよかったからだ。
十七
気のきいたことを言おうとすると、少しばかり嘘がまざってしまうことがよくある。じつはぼくも、街灯の点灯人のことをみんなに話したとき、すごく正確だったとは言えない。ぼくらの惑星のことを知らないひとには、まちがったイメージをあたえてしまったかもしれない。人間は、この地球上で、ごく限られた場所にしか住んでいないんだ。もし、地球に住んでいる二十億の人間が、なにかの集会のときのように、少々ぎゅうぎゅう詰めで立ってならんだなら、縦横二十マイルの広場にやすやすとおさまってしまうだろう。太平洋の一番小さな島にだって、人類をつめこめるかもしれない。もちろん、おとなたちは、君がそう言っても信じないだろう。なにしろ、おとなは自分が大きな場所を占めていると思っているからだ。自分がバオバブみたいにたいしたもんだと思っているからだ。だから、君たちはおとなたちに、だったら計算してみれば、と言うといい。おとなは数字が大好きだから、その提案はさぞ気にいるだろう。でも君たちは、そんなうんざりする仕事につきあって時間をつぶすことはない。そんなことはなんの役にも立たないんだ。ぼくの言うことを信じてくれたまえ。
そんなわけで、王子さまは、地球には到着したものの、そこに誰の姿も見えないことに驚いていた。そして、自分が星をまちがえたのではないかと不安に思いはじめたとき、砂の上で、月の色をした輪が動いた。
「こんばんは」と、王子さまはいちおう言ってみた。
「こんばんは」と、蛇は言った。
「ぼく、なんていう星に落ちてきたのかな」と、王子さまはたずねた。
「地球だよ。地球のアフリカ」と、蛇は答えた。
「えー!じゃあ、地球には、誰も住んでいないの?」
「ここは砂漠なんだ。砂漠には誰も住んでいない。地球は大きい」と、蛇は答えた。
王子さまは、石の上にすわり、空に目を向けた。
「ぼく思うんだけど」と、王子さまは言った。「星たちは、いつかみんなが自分の星をまた見つけることができるように、あんなに輝いているのかな。ほら、ぼくの星を見てよ。ちょうどぼくらの真上にあるよ……。でも、なんて遠いんだろう!」
「おまえの星は、美しいね」と、蛇は言った。「ここには、なにをしに来た?」
「ぼく、花とうまくいかなかったんだ」と、王子さまは答えた。
「ああ、そうか」と、蛇は言った。
そしてふたりともだまりこんだ。
「ねえ、人間はどこにいるのかな?」。王子さまがとうとう口を開いた。「砂漠にいると、ちょっとひとりぼっちの気持ちになっちゃうなあ....」
「人間といても、やっぱりひとりぼっちさ」と、蛇は答えた。
王子さまは、長いあいだ蛇を見つめた。
「君って、おかしな動物だなあ」と、王子さまはようやく言った。「指みたいに細くて……」
「でも、私は王様の指よりも強い」と、蛇は言った。
王子さまはほほえんだ。
「君は、そんな強くないよ。…脚だって持ってないし。....旅もできないでしょ......」
「私は、大きな船よりもっと遠くにおまえを運べる」と、蛇は言った。
そして蛇は、王子さまのくるぶしのまわりに巻きついた。まるで金のブレスレットみたいだった。
「私が触れた者は、土に返る。自分がそこから生まれた土に」と、蛇は話をつづけた。
「でも、おまえは清らかだし、ほかの星から来たんだね……」
王子さまはなにも答えなかった。
「おまえを見ていると、胸が痛くなる。ごつごつした岩でできたこの地球の上で、おまえはこんなにもか弱い。いつの日か、自分の星があんまりなつかしくなったら、私はおまえを手助けしてあげよう。私は……」
「ああ!すごくよくわかったよ」と、王子さまは言った。「でも、君はなぜいつも謎をかけるような話し方をするの?」
「私は、謎をすべて解く」と、蛇は答えた。
そしてふたりともだまりこんだ。
十八
王子さまは、砂漠をどこまでも歩きつづけたが、出会ったのは花一本だけだった。花びらが三枚しかない、ささやかな花だ。
「こんにちは」と、王子さまは挨拶した。
「こんにちは」と、花は答えた。
「人間たちがどこにいるか、ごぞんじかしら」と、王子さまはていねいにたずねた。
花は、かつて隊商のひとたちが通りすぎるのを見たことがあった。
「人間?いると思うわ。六人か七人。何年か前だけど、見かけたことがあるの。でも、どこにいったら会えるかは知らない。風が人間を連れていくのよ。人間には根がないから。そのせいで人間は不自由な思いをしてるの」
「さようなら」と、王子さまは言った。
「さようなら」と、花も言った。
十九
王子さまは、高い山の上に登ってみた。それまで王子さまが知っていた山といえば、自分のひざの高さしかない三つの火山だけだった。火の消えている火山は、こしかけに使っていた。だから、王子さまはこう思った。「こんなに高い山から見れば、星ぜんたいと人間ぜんぶが一目で見わたせるだろう…」
しかし、そこからは、ひどくとがった岩の群れが見えるばかりだった。
「こんにちは」と、王子さまはそれでも念のために言ってみた。
「こんにちは……こんにちは……こんにちは……」と、こだまが返ってくる。
「あなた、誰なの?」と、王子さまはたずねた。
「誰なの……誰なの……誰なの……」と、こだまは答える。
「ぼくの友だちになってよ、ぼく、ひとりぼっちなんだ」と、王子さま。
「ひとりぼっちなんだ……ひとりぼっちなんだ……ひとりぼっちなんだ…」と、こだまは答える。
「なんてへんてこな星だろう!」と、王子さまは考えた。「この星は、からからに乾いていて、とがってばっかりいて、どこもかしこも塩っぽいんだ。そして人間には、まるっきり想像力がないんだ。だって、ひとが言うことをくり返すだけなんだもの.....。ぼくんとこには花がいて、いつも自分から話しかけてくれたのに......」
二十
しかし、砂漠や岩山や雪原をずいぶん長いあいだ歩いたのち、王子さまはとうとう一本の道を見つけた。道というものはすべて、人間の場所につながっているものだ。
「こんにちは」と、王子さまは言った。
それは、薔薇が花盛りの庭だった。
「こんにちは」と、薔薇たちが挨拶を返した。
王子さまは、薔薇たちを見つめた。それらはみな、王子さまの花に似ていた。
「君たち、いったい誰なの?」と、王子さまはすっかりめんくらってたずねた。
「わたしたち、薔薇よ」と、薔薇たちは答えた。
「えー!」と、王子さまは声をだした.....。
王子さまは、ひどくみじめな気持ちになってしまった。王子さまの花は、世界に薔薇は自分ひとりだけと言っていた。でも、ここ、たったひとつのこの庭に、どれもそっくりな薔薇が五千も咲いているのだ!
「あの花がもしこの庭を見たら」と、王子さまは考えた。「きっとすっごく気分を悪くするだろうなあ……。きっと、みっともない思いをしないために、ものすごく咳こんで、死んでしまいそうなふりをするだろうなあ。それでぼくは、看病するふりをしなくちゃならないだろう。だって、そうしなくちゃ、ぼくを後悔させようとして、本当に死んでしまうかもしれないもの……」
王子さまは考えごとをつづけた。「ぼくは、ただひとつしかない花を持っているから自分はたいしたもんだと思ってたけど、でも、ごくふつうの薔薇をひとつ持っているだけなんだ。ほかに持ってるのは、自分のひざくらいの火山三つで、ひとつはたぶん永久に消えたままだ。それじゃあ、ぼくはりっぱな王子さまとは言えない……」
草むらにつっぷして、王子さまは泣いた。
二十一
キツネが現れたのは、そんなときだった。「こんにちは」と、キツネは言った。
「こんにちは」と、王子さまはていねいに返事した。ふり返ったけれど、なんの姿も見えない。
「オイラ、ここにいるよ」と、声がした。「リンゴの樹の下に……」
「君、誰なの?」と、王子さまはたずねた。「君、とってもきれいだね……」
「オイラは、キツネだよ」と、キツネは答えた。
「ねえ、ぼくと遊ぼうよ」と、王子さまは誘ってみた。「ぼく、すごく悲しいんだ」
「オイラはあんたと遊べないよ」と、キツネは答えた。「だって、オイラ、あんたになついてないもの」
「あ!ごめんなさい」と、王子さまは答えた。
しかし、少し考えたあと、王子さまはこう尋ねた。
「ねえ、"なつく"って、どういうこと?」
「あんた、このあたりのひとじゃないね」と、キツネは言った。「なにを捜してるの?」
「ぼく、人間を捜してるの」と王子さまは答えた。「ねえ、"なつく"って、どういう意味?」
「人間っていうのは」と、キツネは言った。
「銃を持っていて、狩りをするんだ。困ったやつらさ!それからめんどりも飼っている。それだけが人間のいいとこだね。あんたはニワトリを捜してるの?」
「ううん」と、王子さまは答えた。「友だちを捜してるんだよ。ねえ、"なつく"って、どういうこと?」
「それは、ずいぶんわすれられちゃっていることなんだ。"きずなをむすぶ"っていう意味だよ……」
「きずなをむすぶ?」
「そう」と、キツネは言った。「あんたは、まだオイラにとって、十万人もいる小さな男の子と似たりよったりのただの男の子なんだ。だから、オイラにはあんたが必要じゃない。あんただって、オイラのこと必要じゃないだろ。あんたにとってオイラは、十万匹もいるほかのキツネと同じなんだから。でも、もしオイラがあんたになついたら、オイラたちはおたがいに必要になる。あんたはオイラにとって、世界でただひとりの男の子になる。オイラは、あんたにとって、世界でただ一匹のキツネになる......」
「ぼく、わかりかけてきた」と、王子さまは言った。「ぼくんとこに、花がひとつあって……ぼくはその花になついていたと思う」
「きっとそうだよ」と、キツネは言った。「この地球上には、なんでもある」
「あー!地球の話じゃないんだ」と、王子さまは言った。
キツネは、とても不思議そうな顔をした。
「ほかの星のこと?」
「うん」
「その星には、狩人がいる?」
「ううん」
「そりゃ、良さそうだなあ!それで、ニワトリはいる?」
「ううん」
「完璧ってのは、ないもんだなあ」と、キツネはため息をついた。
しかし、キツネは、また考えはじめた。
「オイラの生活って、単調なんだよ。オイラはニワトリを襲う。人間はオイラを狩る。ニワトリはぜんぶ同じに見えるし、人間もぜんぶそっくりだ。だから、オイラ、ちょっと退屈してるのさ。でも、もしオイラがあんたになついたら、オイラの生活は、陽がさしたみたいになるだろうな。オイラは、ほかのどんな足音ともちがうあんたの足音をおぼえるんだ。ほかの足音がしたら、オイラは地面の巣穴に逃げ帰る。でもあんたの足音は、まるで音楽みたいに、オイラを巣穴から外に誘いだすんだ。それから、ねえ、ごらんよ!あっち、小麦畑があるだろ?オイラはパンを食べない。だから、小麦なんてオイラには用がないんだ。小麦畑を見ても、オイラはなんとも思わない。でも、それって哀しいだろ!けど、あんたは金色の髪をしてるね。だから、オイラがあんたになついたら、すごくすてきだろうな!金色に輝く小麦を見たら、あんたのことを思いだすようになるよ。そして小麦畑に吹く風の音が好きになるよ……」
キツネは口をつぐみ、そして長いあいだ王子さまを見つめて、こう言った。
「ねえ……、オイラがあんたになつくようにしてよ!」
「うん、ぼくもそうしたい」と、王子さまは答えた。「でも、ぼく、あまり時間がないんだ。友だちを見つけださなきゃならないし、たくさん知りたいことがあるから」
「なつかないうちは、なにも知ることができないんだよ」と、キツネは言った。「人間には、もうなにも知る時間がないんだ。人間は、お店に行ってすっかりできあがったものを買うだろ。でも、友だちを売ってる店なんかないから、人間にはもう友だちがいないのさ。友だちがほしいと思うなら、オイラがあんたになつくようにしてよ!」
「どうすればいいの?」と、王子さまはたずねた。
「すごく辛抱強くしなくちゃいけないんだ」と、キツネは答えた。「まずあんたは、オイラからちょっとはなれたところにすわる。草むらに、こんなふうにね。オイラは、あんたのことを横目でちらっと見たりするけど、あんたはなにも言っちゃだめだよ。
言葉って、誤解のもとだからさ。でも、それから、毎日少しずつ、すわる場所をオイラのほうに近づける……」
翌日、王子さまはまたやってきた。
「いつも同じ時間に来てくれるほうがいいな」と、キツネは言った。「たとえば、あんたが午後の四時に来るって決まってるなら、三時になるとオイラはもううれしくなるよ。そして四時に近づくにつれて、どんどん幸福になる。四時になったら、もうそわそわして、不安になってしまう。つまりオイラは、幸福にどんな値打ちがあるか知るんだ!でも、もしあんたが来るのが決まった時間じゃなかったら、オイラは何時に心の準備をしたらいいのかわからないだろ……。しきたりが必要なんだ」
「しきたりって?」と、王子さまはたずねた。
「これも、ずいぶんわすれられちゃっているものだな」と、キツネが言った。「それは、ある一日がほかとはちがう、ある時間がほかとはちがうっていうことなんだ。たとえば、オイラを狩る人間たちにもしきたりがある。木曜日には村の娘たちとダンスするんだ。だから、木曜日はすばらしい日なのさ!オイラは、ぶどう畑まで散歩に行く。でも、もし狩人たちが決まった日にダンスするんじゃなかったら、どの日も同じになって、オイラにも休みの日がなくなってしまうだろ」
こうして王子さまは、キツネが自分になつくようにした。そして出発の日が近づくと......。
「ああ!」と、キツネが言った。「オイラ、泣いちゃうな」
「でも、君のせいだよ」と、王子さまは答えた。「ぼくは君に悪いことしようなんてちっとも思わなかったもの。君がぼくになつきたいって言ったから……」
「そうだよ」と、キツネは言った。
「でも、君、泣いちゃうんでしょ」と、王子さまは言った。
「そうだよ」と、キツネが答えた。
「じゃあ、なついたって、君にはなんにもならなかったじゃない!」
「そんなことないよ」と、キツネは言った。「金色の小麦畑があるもの」
そしてキツネは、こうつけくわえた。
「さあ、庭の薔薇をもう一度見に行ってごらん。あんたの薔薇が、あんたにとって世界でただひとつのものだってわかるから。そしたらもどってきて、オイラにさよならを言って。オイラはあんたに、秘密をひとつプレゼントするよ」
王子さまは、薔薇たちを見に行った。
「君たちは、ぼくの薔薇とはぜんぜん似てないよ。君たちはまだ、なにものでもないんだ」と、王子さまは薔薇たちに言った。「だって、君たちは誰にもなついていないし、誰も君たちになついていないんだから。以前のあのキツネと同じだ。前は、十万匹もいるほかのキツネと同じだったんだ。でも今は、ぼくらは友だちになった。ぼくのキツネは、ぼくにとって世界でただ一匹のキツネなんだ」
すると、薔薇たちはずいぶんきまり悪そうな顔をした。
「君たちは美しいよ。でも、からっぽなんだ」と、王子さまは話をつづけた。「誰も君たちのために命をかけたりしない。もちろん、ぼくのあの薔薇だって、通りがかりのひとから見れば、君たちと同じように見えるだろう。でもぼくには、たった一本のあの薔薇だけが、君たちぜんぶよりもたいせつなんだ。だって、ぼくが水をあげたのはあの薔薇なんだから。ガラスの覆いをかぶせてやったのは、あの薔薇なんだから。
風よけのついたてを置いてやったのは、あの薔薇なんだから。毛虫をとってやったのは(蝶々になる分の二、三匹を除いてだけど)、あの薔薇だったんだから。ぼくは、あの薔薇が不平を言ったり、自慢話をしたり、ときにはだまりこんだりするのにじっとつきあったんだから。彼女がぼくの薔薇なんだから」
こうして王子さまはキツネのところにもどった。
「さようなら」と、王子さまは言った。
「さようなら」と、キツネも言った。「さあ、オイラの秘密を教えよう。すごく単純なことなんだ。それは、心でしかものはよく見えないってことだよ。いちばんたいせつなものは、目には見えないんだ」
「いちばん大切なものは、目には見えない」と、王子さまはキツネの言葉をくり返した。よく覚えておけるように。
「あんたの薔薇が、あんたにとってそんなにもたいせつなのは、あんたがその薔薇のためについやした時間のせいなんだ」
「ぼくがぼくの薔薇のためについやした時間......」と。王子さまは言った。よく覚えておけるように。
「人間たちは、この真理をわすれてしまった」と、キツネは言った。「でも、あんたはわすれちゃいけない。あんたは、あんたになついたものに対して、いつまでも責任があるんだ。あんたは、あんたの薔薇に責任があるんだ......」
「ぼくは、ぼくの薔薇に責任がある.....」王子さまはくり返した。けっしてわすれないように。
二十二
「こんにちは」と、王子さまは言った。「こんにちは」と、鉄道のポイント係は言った。
「ここでなにしてるの?」と、王子さまはたずねた。
「線路を切りかえているんだよ。乗客千人分まとめて、汽車が行く方向にね」と、ポイント係が答えた。「汽車を、右に送りだしたり左に送りだしたりするわけだ」
ライトの光る特急列車が、ごうごうと雷のような爆音をたてて、ポイント係のキャビンを揺らしていった。
「みんな、ものすごく急いでるんだね」と、王子さまは言った。「なにを探してるの?」
「機関士だって、そんなこと知らないよ」と、ポイント係が答えた。
すると今度は逆の方向から、ライトの光る特急列車が爆音をたてて通り過ぎた。
「え、もうもどってきたの?」と、王子さまはたずねた。
「あれはね、同じひとたちじゃないんだ」と、ポイト係は教えた。「逆方向から来たひとたちだよ」
「そのひとたちみんな、自分のいるところが気にいらなかったの?」
「みんな、自分のいるところにはけっしてまんぞくできないものなのさ」と、ポイント係は答えた。
ライトのついた三台目の特急列車が、また爆音をたてていった。
「あの人たちは、最初の列車の乗客を追いかけてるの?」と、王子さまはたずねた。
「なんにも追いかけていないよ」と、ポイント係は答えた。「みんな列車のなかで眠ってるか、あくびしてる。子どもたちだけが、窓ガラスに鼻をくっつけてるさ」
「子どもたちだけは、自分がなにを探してるか知ってるんだね」と、王子さまは言った。「子どもたちは、古い布切れでできた人形で遊ぶのに時間をつかう。そうすると、人形は自分にとってたいせつなものになる。だから、その人形が取り上げられると、子どもたちは泣くんだ……」
「子どもたちはしあわせだね」と、ポイント係は言った。
二十三
「こんにちは」と、王子さまは言った。「はいはい、こんにちは」と、商人は答えた。
それは、のどの渇きをおさえる新発売の丸薬を売る商人だった。その丸薬を一週間にひとつぶ飲むと、もう水を飲みたいと感じなくなるのだ。
「なんでそれを売ってるの?」と、王子さまは聞いた。
「これは、たいへんな時間の節約になるんですよ」と、商人は言った。「専門家に計算してもらったんですが、一週間に五十三分も節約できるんですからね」
「それで、その五十三分でなにをするの?」
「なんでもお好きなことを……」
「ぼくなら」と、王子さまは心のなかでつぶやいた。「五十三分よぶんにあったら、泉までのんびり歩いていくなあ……」
二十四
砂漠でぼくの飛行機が故障してから、一週間がたっていた。ぼくは、貯蔵水の最後の一滴を飲みほしながら、この丸薬商人の話を聞いていた。「ああ!」と、ぼくは王子さまに言った。「君の話、とってもいいよ。でも、飛行機の修理は終わらないし、もう飲むものがないんだ。もし泉に向かってのんびり歩いていけるなら、ぼくもしあわせだろうなあ!」
「それで、ぼくのキツネはね」と、王子さはぼくに言った。
「ねえ、君、もうキツネの話はおしまいだ」
「なんで?」
「なんでって、のどが渇いて死にそうだからだよ……」
王子さまは、ぼくの理屈がわからず、こう答えた。
「もし自分が死にかけてるとしても、友だちがいたっていうことは、いいことなんだ。友だちのキツネがいて、ぼく、ほんとに良かったと思ってる……」
「この子は、危険がどんなものかわからないんだ」と、ぼくは思った。「お腹もすかないし、のども渇かない。太陽の光がちょっとあれば、それでじゅうぶんなんだ……」
でも、王子さまはぼくを見つめ、ぼくの考えていることに答えるように、こう言った。
「ぼくも、のどが渇いちゃったな……。井戸を探しに行こうよ……」
ぼくは、うんざりしたしぐさをした。広い砂漠のまんなかで、行き当たりばったりに井戸を探すなんてばかげてる。しかし、それでもぼくらは歩きはじめた。
だまったまま何時間か歩いたころ、夜の帳が降り、星が輝きはじめた。渇きのせいで少し熱があったぼくは、まるで夢のなかで星を見ているような気がした。王子さまの言葉が、記憶のなかで踊っていた。
「じゃあ、君ものどが渇くの?」と、ぼくは彼にたずねた。
王子さまはぼくの質問には答えず、ただこう言った。
「水って、心にもいいものなんだ.......」
ぼくは、この答えが理解できなかったけれど、口をつぐんだ。質問してもしかたないことをよく知っていたからだ。
彼は疲れていた。そして腰をおろした。ぼくは、彼のそばにすわった。しばらくだまったあと、彼は、また話しはじめた。
「目には見えない花がそこにあるから、星は美しいんだ……」
ぼくは、そうだね、と答えた。そして、月の光の下、砂にできた波紋を、なにも言わずながめた。
「砂漠は美しいよ」と、王子さまは言いたした……。
本当だった。ぼくはいつも砂漠を愛していた。砂丘にすわる。なにも見えない。なにも聞こえない。でも、静寂のなか、なにかが輝いているのだ…。
「砂漠が美しいのは」と、王子さまが言った。「砂漠がどこかに井戸を隠しているからだよ…」
ぼくは驚いた。砂漠のこの不可思議な輝きが、ふいに理解できたのだ。小さいころ、ぼくは古い屋敷に住んでいて、その家には宝物が埋もれているという言い伝えがあった。もちろん、誰もそんな宝なんて発見できなかったし、たぶん、探しもしなかったろう。でも、その宝は、家ぜんたいを魔法にかけていた。ぼくの家は、その奥深くに秘密を隠していたのだ……。
「そうなんだ」と、ぼくは王子さまに言った。「家でも星でも砂蔵でも、それを美しくしているのは、目に見えないものなんだ!」
「うれしいな」と、王子さまは言った「あなたが、ぼくのキツネとおなじ考えで」
王子さまが眠りはじめたので、ぼくは彼を腕に抱きあげ、また歩きはじめた。ぼくは胸がいっぱいだった。壊れやすい宝物をかかえているように思われた。この地球上で、これ以上傷つきやすいものはなにもないようにさえ思われた。月の光の下、ぼくは、王子さまの青白いひたいを、閉じた目を、風にふるえている髪の毛の房を見た。
そしてつぶやいた。「ぼくが今ここに見ているもの、それは外側の殻にすぎないんだ。
いちばんたいせつなものは、目には見えないんだ......」
すこし開いたままの王子さまのくちびるが、かすかに微笑みをたたえた。ぼくはまたつぶやいた。「眠っている王子さまが、ぼくの心をこんなに揺さぶるのは、王子さまが花に誠実だからだ。薔薇の姿が、まるでランプの炎のように、王子さまのなかで輝いているんだ。眠っているときでさえも......」ぼくには、王子さまがなおさら壊れやすいものに思われた。ランプはちゃんと守らなくてはならない。ちょっとの風が吹いても、火は消えてしまうだろうから......。
こんなふうに歩いたあと、夜明けごろ、ぼくは井戸を発見した。
二十五
「人間って」と、王子さまは言った。「特急列車にぎゅうぎゅうと乗りこんでどこか行くけど、自分がなにを探しているかわからなくなっちゃっているんだよ。だから、うろうろしたり、ぐるぐるまわったりしてるんだ......」そして、こうつけくわえた。
「そんなことしたって、しかたないのに......」
ぼくらが見つけた井戸は、サハラ砂漠にあるふつうの井戸ではなかった。サハラ砂漠の井戸は、砂漠に掘られたただの穴だ。ぼくらの井戸は、村にある井戸に似ていた。でも、そこには村なんかまるっきり見あたらないから、ぼくは夢でも見ているのかと思った。
「妙だねえ」と、ぼくは王子さまに言った。「ぜんぶそろってるよ。滑車も、桶も、桶につける綱も......」
王子さまはにっこりした。そして、綱を取り、滑車をまわした。
滑車は「久しぶりに風に当たった古い風見鶏がギィときしむような音をたてた。
「聞こえたでしょ」と、王子さまは言った。
「ぼくらは、この井戸を目覚めさせたんだよ。ほら、井戸がうたってる......」
ぼくは、王子さまが無理に力をつかうのを見たくなかった。
「ぼくがやるよ」と、ぼくは言った。「君には重すぎるから」
ぼくは、水をいれた桶をゆっくりと引っぱり上げ、井戸のふち石にしっかりと置いた。耳にはまだ滑車の歌が響き、まだ揺れている桶の水には、太陽がふるえて映って見えた。
「ぼく、この水がほしかったんだと、王子さまは言った。「水、飲ませてよ......」
そのときぼくは、王子さまがなにを探していたのか、やっとわかったんだ!
ぼくは、桶を王子さまの口もとに持ちあげた。王子さまは、目を閉じてその水を飲んだ。それは、まるでお祭りのようにすてきな水だった。たんにからだに必要なだけの養分なんかじゃなかった。それは、星空の下で歩いてきたことや、滑車の歌や、ぼくの腕の労力から生まれ出たものだった。贈り物のように、心に甘いものだった。小さいころもらったクリスマスの贈り物から、クリスマスツリーのきらきらした光や真夜中のミサの音楽、笑いさざめく声の楽しさが、輝きだしていたように。
「あなたの星の人間は」と、王子さまは言った。「ひとつの庭に五千も薔薇を咲かせている......。それなのに、自分が探しているものを見つけられないんだ......」
「そうだね。見つけられない」と、ぼくは答えた。
「でも、そのひとたちが探しているものは、たった一輪の薔薇か、ほんのちょっとの水のなかに見つかるかもしれないのに......」
「ほんとだ」と、ぼくは答えた。
そして、王子さまはつけくわえた。
「目って、ものが見えないんだよ。心で探さなくちゃいけないんだ」
ぼくは、水を飲み終えた。ほっと一息ついた。夜明けの砂漠は、蜜のような色をしている。ぼくも、その蜜の色を見て幸福だった。いったいぼくは、なにをあんなに苦しんでいたんだろう......。
「あなたは、自分の約束を守らなくちゃいけない」と、王子さまがそっと言った。彼は、またぼくのそばにすわっていた。
「どんな約束?」
「約束したでしょ......羊にはめる口輪だよ......。ぼく、あの花に責任があるんだ!」
ぼくは、ポケットからいろいろ描いた絵の下書きをだして見せた。王子さまはそれを見ると、笑いながらこう言った。
「このバオバブ、ちょっとキャベツみたい......」
「えー!」
ぼくは、自分が描いたバオバブがけっこう自慢だったのに!
「それに、このキツネ......。耳が......ちょっと角みたいだなあ......。長すぎるんだよ!」
そう言って、王子さまはまた笑った。
「そりゃあ、不公平だよ、君。だって、ぼくは今まで、大蛇の外側と内側の絵しか描いたことなかったんだから」
「まあ、だいじょうぶだよ」と、王子さまは言った。「子どもにはわかるから」
そこでぼくは、羊の口輪を描いた。そしてそれを王子さまにわたしたとき、ぼくは胸がしめつけられるように感じた。
「君は、まだぼくに話してない計画があるね......」
しかし、王子さまはそれに答えず、こう言った。
「ねえ、ぼくが地球に落ちてきて、明日で一年になるんだ......」
それから、少しだまったあと、こう言った。
「ぼく、ここのすぐそばに落ちたんだよ......」
そう言うと、彼は顔を赤らめた。
すると再び、なぜかわからないけれど、ぼくはいわく言い難い悲しみにおそわれた。そしてそのいっぽう、ひとつの疑問がふっと頭にうかんできた。
「じゃあ、一週間前、ぼくが君に出会った朝、人里から千マイルもはなれたこんな場所を君がひとりで歩いていたのは、偶然じゃなかったんだね?君は、自分が落ちてきた場所にもどろうとしていたんだね?」
小さな王子さまは、もっと顔を赤くした。
ぼくは、ためらいながら、こうつづけた。
「明日が一年目で、その日になにかあるの?」
王子さまは、また赤くなった。王子さまは質問に答えなかったけれど、顔を亦くするっていうことは、「そうです」と言っているのと同じではないだろうか?
「ああ!ぼくは、なんだか怖いよ......」
でも、王子さまはぼくにこう答えた。
「さあ、あなたは働かないと。自分の機械のところにもどらなきゃだめだよ。ぼくは、ここであなたを待ってる。明日の夕方、もどってきてね......」
しかし、ぼくは不安だった。ぼくはキツネのことを思いだしていた。なつくと、泣いてしまうこともあるんだ......。
二十六
井戸のかたわらには、崩れかけた古い石壁があった。翌日の夕方、作業からもどってみると、王子さまがその壁の上にすわり、足をぶらぶらさせているのが遠くから見えた。そして、彼の話している声が聞こえた。「じゃあ、君は覚えてないの?、と、彼は言った。「場所はここじゃないでしょ!」
どうやら、もうひとつの声が彼になにか答えたらしい。王子さまは、それに向かってこう言い返したから。
「もちろん、もちろんだよ!たしかに今日がその日だけど、でも場所は、ここじゃないよ……」
ぼくは、壁のほうに急いだ。誰の姿も見えないし、声も聞こえない。しかし王子さまは、またこう言い返した。
「......そうだね。君は、砂の上の足跡がどこからはじまっているかわかるでしょ。その場所でぼくを待っていてくれればいいんだ。ぼくは今夜、そこにいるよ」
ぼくは、壁から二十メートルのところにいた。しかし、やはりなにも見えなかった。
王子さまは、少しだまったあと、また言った。
「君の毒は、いい毒なの?ほんとうに、ぼくを長いあいだ苦しめない?」
ぼくは、はっと足を止めた。胸がしめつけられたけれど、やはりわけがわからなかった。
「それじゃ、もうあっちに行ってよ」と、王子さまは言った。「ぼく降りたいんだ!」
そのときだった。ぼくもまた壁の下のほうに目を向け、そして跳び上がった!蛇がそこにいたのだ。咬まれたひとはたったの三十秒で死んでしまう猛毒を持った黄色い蛇が一匹、王子さまのほうに鎌首をもたげている。拳銃を取りだそうとポケットを探りながら、ぼくは駆けだした。しかしその足音で、蛇は、噴水の水がやむように、すっと頭を下げてゆっくり砂の上をくねっていった。そして、さほど急ぐこともなく、かすかに金属のような音をたてながら、石のあいだにもぐって消えていった。
ぼくはようやく壁にたどりつき、降りてくる王子さまを抱きとめた。ぼくのたいせつな王子さまは、雪のように蒼白な顔をしていた。
「いったい、これはどういうことなの!君は今、蛇と話をしてたね!」
ぼくは、王子さまがいつも首に巻いているマフラーをほどいた。こめかみを湿らせ、水を飲ませた。そしてそのあとはもう、なにも問いただせなかった。王子さまはぼくを真剣な顔で見つめ、ぼくの首に両腕で抱きついた。王子さまの胸の動悸が伝わってきた。それは、カービン銃で撃たれて死んでいく鳥の心臓の音のようだった。彼はぼくに言った。
「あなたの機械にたりなかったものが見つかって、ぼく、うれしいよ。これで、自分のところに帰れるね」
「それ、どうして知ってるの!」
ぼくは、ダメだと思っていた修理がうまくいったことを話そうと思いながらもどって来たのだ!
王子さまは、この質問には答えず、こう言った。
「ぼくもね、今日、ぼくんとこに帰るんだよ……」
それから、哀しそうに……。
「ぼくんとこ、もっとずっと遠いんだ……。もっとずっと難しいんだ……」
なにかとんでもないことが起ころうとしていることを、ぼくはひしひしと感じていた。ぼくは王子さまを、幼い子どものように抱きしめた。けれど、いくら抱きしめても、王子さまはまっ暗な闇の底にすべり落ちていくみたいだった。ぼくには、なすすべもないまま......。
王子さまは、真剣なまなざしで、どこかはるか遠くをながめていた。
「ぼく、あなたの羊を持ってるよね。羊の小屋も。それに、口輪も……」
そして、哀しげにほほえんだ。
ぼくは長いこと待った。王子さまのからだが少しずつあたたまるのがわかった。
「怖かったんだね……」
そう、もちろん、怖かったのだ!しかし、彼はそっと笑った。
「今夜は、もっと怖い思いをすると思う……」
ぼくはふたたび、取り返しのつかない思いに凍りついた。王子さまが笑う声を二度と聞けないなんて、考えるだけでも自分にはたえられないことに気づいた。その笑い声は、ぼくにとって、砂漠のなかの泉なのだ。
「ねえ、ぼくのたいせつな君。君が笑うのをまた聞きたいよ……」
しかし、彼は言った。
「今夜、一年になるんだ。ぼくの星は、去年ぼくが落ちてきた場所のちょうど真上に来る………」
「ねえ、ぼくのたいせつな君。これって、悪い夢じゃないかい。蛇も、会う約束も、星のことも……」
王子さまはぼくの質問には答えなかった。そしてこう言った。
「だいじなもの、それは目に見えないんだ……」
「そうだね……」
「あの花も同じなんだ。もしあなたが、ひとつの星に咲く花を愛していたら、夜、空をながめるのは楽しいよ。すべての星に花が咲いているんだ」
「そうだね……」
「あの水も同じなんだ。あなたがぼくに飲ませてくれた水は、滑車や綱がうたって、音楽みたいだった。……ねえ、覚えてるでしょ、あの水は、すてきだったね」
「そうだね……」
「夜、あなたは星空をながめてね。ぼくの星、あんまり小さくて、どこにあるか指さして教えられないけど。でもそのほうがいいんだ。ぼくの星は、あなたにとって、無数の星のひとつになる。そしたら、あなたは、どの星をながめるのも好きになるでしょ……。すべての星が、あなたの友だちになるんだ。そしたらぼくは、あなたに贈り物をあげられるよ……」
彼はまた笑った。
「ああ!君、ぼくのたいせつな、たいせつな君、ぼくはその笑い声が好きなんだ!」
「それがぼくの贈り物なんだよ。……あなたがあの水を飲ませてくれたみたいに」
「どういうことなの?」
「だれの上にも星空はあるけど、みんな同じ目で星を見てるわけじゃないんだ。旅するひとにとって、星は道案内だよ。星はただのちっぽけな光だって思ってるひともいるでしょ。星のことたくさん調べてる学者もいる。それから、ぼくが会った実業家にとって、星は財産だった。でも、そういう星はぜんぶ、ただだまって光っているだけなんだ。だからあなたは、誰も持ったことのない星を持つことになるよ......」
「どういうことなの?」
「あなたは、夜、星空を見るよね。そしたら、その星のどれかひとつにぼくが住んでいて、その星のどれかひとつの上でぼくが笑っているから、それは、あなたにとって、星ぜんぶが笑っているのと同じなんだ。だからあなたは、笑い声を響かせる星空を持つことになるんだよ!」
そして王子さまはまた笑った。
「そして、あなたの悲しみがやわらいだら(だって、悲しみはいつもやわらぐものだから)、あなたはぼくと知り合ってよかったと思うよ。あなたは、いつまでもぼくの友だちなんだ。あなたは、ぼくといっしょに笑いたくなるよ。そしてあなたは、ほら、ときどき窓を開けて、楽しい気持ちになるんだ……。きっとあなたの友人たちは、あなたが星空を見つめて笑うのを見たら、びっくりするだろうね。あなたはそのひとたちにこう言うんだ。『そうなんだよ、ぼくは星空を見ると、いつも笑いだしたくなるんだ!』みんな、あなたのこと頭のへんなやつだって思うだろうな。ぼく、あなたに、たちの悪いいたずらをしちゃったことになる……」
こう言って、王子さまはまた笑った。
「ぼくは、星の代わりに、きらきらと笑うたくさんの小さな鈴を、あなたにあげたようなものなんだ……」
王子さまはまた笑い声をたて、それから真剣な顔にもどった。
「今夜は……ねえ……来ないでね」
「ぼくは、ずっと君のそばにいる」
「ぼくは、具合が悪いように
見えると思う……。死んでしまうように見えると思う。だからさ、ねえ、そんなの見に来ないでよ。そんなことしたって……」
「ぼくは、ずっと君のそばにいる」
しかし、王子さまはやはり心配げだった。
「来てほしくないのはね……、蛇のこともあるんだよ。蛇があなたを咬むといけないから……。蛇って、意地悪なんだ。なぐさみに咬んでしまうこともあるんだ……」
「ぼくは、ずっと君のそばにいる」
しかし、王子さまはなにか思いついて安心したようだった。
「そうだ、蛇ってたしか、二回目に咬むときには、もう毒がないんだよね……」
その夜、ぼくは王子さまが出ていくのを見なかった。王子さまは音もなくその場をぬけだしていったのだ。ぼくがようやくのことで追いついたとき、王子さまはきっぱりとした早足で歩いていた。彼は、ぼくにただこう言った。
「あ!来たの……」
王子さまは、ぼくの手をとった。でも、まだ心配そうなようすだった。
「あなたは来ちゃいけなかったんだ。つらい思いをするよ。ぼくは死んでしまったように見えるだろうから。それはほんとじゃないんだけど……」
ぼくは、ただだまっていた。
「ねえ、わかってるでしょ。ぼくんとこ、すごく遠いんだ。ぼく、このからだを持っていけないんだ。重すぎるもの」
ぼくは、ただだまっていた。
「でも、それって、古くなった殻がはがれるようなものなんだよ。ぬけ落ちた古い殻なら、悲しくないでしょ……」
ぼくは、ただだまっていた。
彼は、少し気を落とした。しかし、なんとか力をふりしぼり、こう言った。
「ねえ、すてきなことだと思うんだよ。ぼくもやっぱり星空を見るよ。星はぜんぶ、さびた滑車のついた井戸になる。すべての星が、ぼくに水を注いでくれるよ……」
ぼくは、ただだまっていた。
「すっごく愉快だと思うな!あなたは、五億の鈴を持つし、ぼくは、五億の井戸を持つんだ……」
こう言うと、彼もまた口をつぐんだ。泣いていたからだ。
「ここだよ。最後はぼくひとりで行かせてね」
そして王子さまは腰をおろした。怖かったからだ。彼はまたぼくに言った。
「あのね……、ぼく、ぼくの花に……責任があるんだよ!それにあの花は、とってもか弱いんだ!とっても無邪気なんだ。あの花は、自分を世界から守るのに、四本のトゲのほか、なにも持っていないんだ……」
ぼくは腰をおろした。もう、とても立っていられなかったからだ。王子さまは言った。
「ね……、そういうことなんだ……」
王子さまはまだ少しだけためらい、そして立ち上がった。足を踏みだした。ぼくは、身動きもできないでいた。
王子さまのくるぶしのそばに、黄色く光るものが見えただけだった。王子さまは、少しのあいだ、そのままじっと立っていた。叫び声もたてなかった。そしてゆっくりと、樹が倒れ落ちるように、倒れた。砂のせいで、倒れる音さえしなかった。
二十七
あれからもう六年が過ぎた。ぼくは、今まで誰にもこの話をしなかった。あのとき、ぼくと再会した仲間たちは、ぼくが生還できたことをとても喜んでくれた。ぼくは悲しんでいたけれど、彼らにこう言っただけだった。「疲れたよ......」今では、ぼくは少しだけ慰められている。つまり......、すっかり元気というわけではないということだけど。でも、ぼくは、王子さまが自分の星に帰ったことはよくわかっている。なぜって、日が昇ると、彼のからだはもうどこにもなかったからだ。そんなに重いからだじゃなかったんだ......。それに、ぼくは、星空の音を聴くのが好きだ。それは五億の鈴の音なんだ。
けれども、ぼくはとんでもないこともしてしまった。王子さまに描いてあげた羊の口輪、あの口輪に、革ひもを描きくわえるのをわすれてしまったんだ!結ぶひもがなければ、王子さまは、羊に口輪をはめられないだろう。だから、ぼくは気をもんでいるんだ。「王子さまの星は、どうなっただろう。たぶん、羊は花を食べてしまっただろう......」
あるときは、こう思う。「いや、ぜったいそんなことはない!王子さまは、毎晩、花をガラスの覆いにいれてあげるし、羊もちゃんと見張っているんだ......」こう思うと、ぼくは幸福になる。すべての星がやさしく笑いさざめく。
でも、こう思うこともある。「いや、誰だって一度や二度ついうっかりしてしまうこともある。それだけで命取りなんだ!ある晩、王子さまは、ガラスの覆いをわすれてしまったかもしれない。あるいは、羊が夜のあいだ音もたてずに出ていってしまったかもしれない......」そんなふうに思うと、星の鈴の音は、すべて泣き声に変わってしまう......!
それは、ほんとに不思議なことなんだ。王子さまを愛している君たちにとって、そしてこのぼくにとって、どこにめるとも知れぬ星でぼくらの見たことのない羊が薔薇をひとつ食べてしまったかどうかで、宇宙ぜんたいがちがうものになってしまうんだよ。
星空を見つめてごらん。そして心にこうたずねてごらん。「羊は、あの花を食べてしまったかしら、それとも食べていないかしら?」君たちは、答えがちがえば、すべてがすっかり変わってしまうことに気がつくだろう......。
でも、おとなたちは、それがそんなにも重大な問題だっていうことを、ぜんぜん理解できないだろう!
これは、ぼくにとって、世界でいちばん美しくて世界でいちばん哀しい風景だ。これは前のページにあるのと同じ風景だけれど、ぼくは、君たちにこの風景をちゃんと見てもらうためにもう一度描いた。星の王子さまが地上にやってきて、そして去っていったのは、この場所なんだ。
この風景をしっかりと見て、覚えておいてほしい。いつの日か君たちが、アフリカの砂漠を旅して、この場所に行き当たったとぎ、ああ、確かにここがあの場所だ、とわかるように。そしてもし、この場所を通りかかるようなことがあったら、お願いだから、いそいで通り過ぎないでほしい。どうか星の下で少しだけ待っていてほしい!もしそのとき、ひとりの子どもが君のところにやってきたら、もしその子が笑っていたら、もしその子の髪が金色だったら、そしてもし、その子が聞かれたことにはちっとも答えてくれなかったら、君は、その子が王子さまだとわかるはずだ。そしたら、君たちにお願いしたい。いつまでもこんなに哀しい気持ちのままぼくをほうっておかないでくれたまえ。王子さまが帰ってきたと、すぐぼくに手紙を書いて知らせてくれたまえ......。
Thursday, April 15, 2021
星の王子さま(Japanese2)
Labels:
Book
Subscribe to:
Post Comments (Atom)
No comments:
Post a Comment